5 / 7
第5話
気が付いたら20時を過ぎてしまっていた。あたりがすっかり暗くなってしまったため、旭とゼンを駅まで送ることにした。
普段は食べることがないモスバーガーで遅い夕飯を食べ、時間を潰す。旭たちが乗る電車は21時13分発、藍川から北へ、隣の紫吹駅行き。近所だから自分が送るとゼンが言い出し、二人が駅のホームへと向かっていく。
「じゃあ、明日学校でな!」
ゼンが手を振った。俺たちも手を振りかえす。ガタイのいいゼンと、見るからにひょろひょろで線の細い旭。遠ざかっていく背中を見ながら、『どう見ても凸凹コンビやな』と翔がつぶやく。ゼンと翔もあんな感じだ。でもゼンは決して強いことを偉ぶらないし、暴力で物事を解決するタイプではない。旭もそれがわかったからなのか、この短時間で随分懐いたようだ。
「倫!」
駅のホームから旭の声がした。一生懸命に手を振っている。
「今日はありがとう! また遊ぼう!」
俺も手を振り返す。いつもおどおどしているところしか見たことがなかったから、慣れたらあんなに表情を崩せるなんて意外だった。
「帰ろうか、倫。ばあちゃんがおったら、絶対こんなんできんな」
にひひと翔が笑う。翔のおばあちゃんと俺のおばあ様はかなり懇意の仲だから、翔と一緒ならばなにも言われないだろう。
「翔のおばあちゃんに口止めしておかなきゃいけないね」
俺が言うと、翔は笑った。
「ホンマじゃ。ばあちゃんに外郎買って帰ろう。賄賂じゃ、賄賂」
言って、翔が駅のキヨスクに駆け込んだ。俺はそれを遠目に眺めながら、根付にはいってついてきていたハヤに意識を向けた。いつもは温和な目をきつく吊り上げ、警戒している様子だ。
「どうしました?」
小声でハヤに話しかける。ハヤは『いえ』とだけ俺に返し、鋭くあたりを見回す。
『勘違いならよいのですが、なにやら、妙な気配が』
「気配?」
『得体の知れぬ気配です。旭殿が言われていたとおり、空が黒ずんでいたのも気にかかる』
言って、ハヤがううむと考え込むように口元に手を当てた。翔が戻ってくる。俺はそれを見計らって、翔と共に駅を後にした。
「ゼンに旭を送らせてよかったのかな?」
「ええよ、どうせそのあとぶらぶら散歩でもしながら帰るやろ。旭ならまだしも、ゼンのあのガタイで暴漢に襲われるとか有り得んし」
俺は確かにと苦笑した。ゼンは総合格闘技かなにかをやっているらしく、見た目同様かなり強いのだと翔が言った。
「俺なんかちっこいし、ゼンとまともにやり合ったら殺されるかもしれん」
翔の言うとおり、ゼンと翔の身長差はかなりある。上背が176センチの俺ですら見上げるほど背が高い。翔を肩車して校庭を走り回っているのを見かけたことがある。そのあとで二人が取っ組み合いのケンカをしたことを思い出して、吹き出した。翔が必死に殴ろうとしているのに、ゼンから顔を突っぱねられて、手も足も届かずにただ暴れていたようにしか見えなかった。それだけではない。翔もそれを思い出したらしく、俺の横で気恥ずかしそうに笑った。
「今日、ありがとうな、倫」
「ううん、俺のほうこそ、ありがとう。浜北‥‥いや、旭ときちんと話ができて、助かった」
「そんなんいらんって。俺と倫との仲やん」
「俺だってお礼なんかいらないよ」
翔がにいっと笑う。駅通りを抜けた後、翔はこっちだからと言って、三叉路の右側の道に入った。
「じゃあ、気を付けてな」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
翔は俺に向けてぶんぶんと手を振ったあとで踵を返し、薄暗い道を走って行った。翔の姿はすぐに見えなくなった。なんだか今日はいつもにないほど充実したように感じる。こんなふうにクラスメイトと騒いだのは何年振りだろうか。
『随分と楽しかった御様子ですな』
ハヤが言う。俺は肯定の意味を込めて、小さく頷いた。
「おばあ様が仰る意味は解っているつもりです。でも、こうやって何気ないひと時を過ごすというのは、いいことですね」
『ええ。仲間あってこその御身です故。それに』
「それに?」
ハヤはくすりと笑って、懐かしそうに目じりを下げた。
『丹生を思い出します。乱暴者だけれども愛嬌があって、いつも兄貴風を吹かせておりました。ほんに愛い。丹生の子孫があのような元気な姿を見せてくれているだけでも、我等は命を張った甲斐があったというもの』
俺はハヤを覗き見た。ハヤの言いたいことがそれだけではないと解ったからだ。
『お気付きではないでしょうが、彼ら三人と我々はいつもつるんでおりました。特に、旭殿は倫殿の幼少の頃よりのご友人。資料には残っておらぬでしょうが、黒木泰然という祈祷師がおりました。翔殿は倫殿の従兄弟にあたる、久楽言経(くたらときつね)殿の魂を継承されている』
「翔も?」
『ええ、勿論ですとも。人の世の縁というものは不思議なもので、不思議とおなじような魂の位を持った者がつるむようになるのです。殿が血をお分けになった器に殿の魂が継承されたことによって、なんらかの作用を引き起こしたのでしょう。この400年近くこの世を見て参りましたが、私が時を共に過ごした者に一人二人出会えればよい方でした。このようにたくさんの魂が集まることは珍しいことです』
そう言われて、俺はなんだか気恥ずかしくなってきた。
「もしかして、俺は過去の旭に出会った時にも、同じような牽制を?」
ハヤはくすりと笑って、俺に目配せをした。
『ええ。お二方共、御母上の後ろにお隠れになって、なかなか言葉を交わされませんでした』
俺は苦い顔をしたが、その事実は変えようがない。ハヤを見遣ると、本当に嬉しそうに目じりに皺を刻んでいた。
『隼人は嬉しゅうございます。またあの者たちに出会えた。別れなど言わなんだ。丹生はきっと怒っていたことでしょう』
言って、ハヤが鼻を啜り、目じりに溜まった涙を拭う。
「将たる者、そのように簡単に泣いていいんです?」
さっきいじられた仕返しをする。ハヤはなにも言わずに目を擦ると、幸せそうな息を吐いた。
『よいのです。将とて嬉しき時は喜ぶものにございましょう』
俺は吹き出しそうになったが、堪えた。向かいに人の姿が見えたからだ。月がないせいか今夜はかなり暗く、街灯と家の明かりだけが光っている。俺は自分の家がある方向へと歩き始めた。
三叉路をまっすぐ、10メートルほど進む。なにやら違和感を覚えた。なにかが違う。景色は同じだ。けれど重苦しい雰囲気を醸す。この先に行ってはならない。本能がそう警鐘を鳴らした。
『倫殿、なにか来ます』
ハヤが俺の前に出て、腰に差していた祓串を構えた。気配を窺うように辺りを見回していたときだ。閃光が走り、俺とハヤの間になにかが飛び込んできた。
鵺だ。赤く切れた口の隙間から鋭い牙が見える。血の混じった涎を滴らせ、ガッガッと得体の知れない声で鳴く。そして俺を睨むと勢いよく突っ込んできた。ハヤが俺の前に立ちはだかり、鵺の脳天を祓串で叩き割る。血飛沫が上がったが、鵺はゆらりとよろめいただけだ。
『なんと、死なぬというのか』
驚いたのはハヤだ。大抵の鵺はハヤの一撃で塵と化す。
『ええい、忌々しい。体さえあればこのようなまだるっこしいことをせずとも済むというのに』
苛立った様子で言いながら、ハヤが鵺の首に太刀を浴びせる。鵺の首に亀裂が入り、ずるりと奇妙な音を立てて落ちた。しかし鵺はまだ動いている。よたよたと体だけでこちらに向かってくる。こんな鵺は初めてだった。
『倫殿、鵺の牙や爪に触れぬよう、ご注意を。これはおそらく、呪鵺(しゅや)と呼ばれる物。この呪いを受けると、私の力では解呪できませぬ』
「逃げるしかない、ということですか?」
ハヤが頷く。
『ですが習性上、鵺は逃げる者を追ってきます。私は既に死んでいる身、囮として残ったところで、鵺は倫殿を追うでしょう。息を顰めてください。鵺の頭を破壊すれば』
言うが早いか、鵺がハヤめがけて突っ込んできた。ハヤが鵺の頭を祓串で叩き割る。ひゅーひゅーと不気味な声を上げ、鵺がグルンと白目を剥く。ハヤがやったと声を上げた。
「ハヤ!」
鵺の一撃はハヤには届かなかった。地響きがしそうなほどのすごい声が上がる。腹を抉られそうな咆哮はいままでにない瘴気を発しており、俺はよろめいて蹲った。
青白い閃光が走った。
ハヤの攻撃ではない。鵺の形が徐々に崩れていく。さらさらと散り、完全に消えた。
「ちっ、手間かけさせやがって」
聞き覚えのない声だ。身震いがした。鵺の塵が消えた後、俺の目に映ったのは、あの時、駅通りですれ違ったあの少年だったのだ。途端に腹と首の痣に激痛が走る。
「あんた、大丈夫か?」
少年が声を掛けてくるが、痣が直接鼓動を打っているかのようで、息ができない。苦しい。
『倫殿!』
息をしようと口を開けても、少しも空気が入ってこない。汗と共に唾液が地面を濡らしていく。息ができないせいで意識が遠退く中、ハヤの声だけが聞こえていた。
ともだちにシェアしよう!