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第54話
荒い息でへたり込む月の腕を持って立たせようとした時だった。
「う……陽ーーーーっ!」
月が驚き顔を上げて体を起こそうとするのを、その肩を押さえつけて止める。
「始まった……か。」
「陽っ!!兄貴が助けを求めてる!!何が起きてんだ?!」
月が必死に俺の手を掴んで揺さぶった。
「先輩は……αだった。」
俺の口から出た言葉に月が嘘だと呟く。
「だって、先輩も検査したって!ここに来る前にもしたはずだろう?」
嘘だと呟く月と同じようにしゃがんで月の顔を両手で覆う。
「さっきの連絡はその事だったんだ。お前たちが学校に行った後で先輩とJと話をした。それでJが先輩にαの兆候が見られるって……」
「だって……でもだからって兄貴は陽の番だろう?」
部屋からは今も俺を呼ぶ悲痛な悲鳴が聞こえているが、俺はそれを聞かないようにシャワーの栓を目一杯捻った。
その音にかき消されないように月を抱きしめて耳に直接声を届ける。
「Jとの話し合いの中で、Ωには抵抗反応とかいうのがあるらしいって教わった。番のいるΩが他のαに性交されそうになった時に引き起こされる反応で、吐いたりするらしい。ただ、それを唯一起こさないのが運命の、魂の番だった場合。どんなに抵抗しても反応は起きない……それどころか今の番からは得られない快楽を与えられる。」
「そんな……っ!!」
俺の言葉を証明するように、先ほどまで悲鳴を上げていた空が先輩の名を呼んで喘ぎ声を上げている。
俺は黙ってシャワーを止めて、な?と月にその事実を聞かせた。
「そんな……だって兄貴の運命の相手は陽だろう?おかしいじゃないか?!」
月の言葉にそうだなと言うと、バスタオルを掴んでシャワー室から出る。
その後ろを早足で月がついてくる。
「Jは科学者だから認めたくないって連発してたけど、先輩が空の死に別れた双子なんじゃないかって。馬鹿げてるって思うけど……先輩には匂うんだって、番持ちの空の匂い……たとえ生まれ変わりとかじゃなくても、それだけで魂の番って事になるんだってさ。」
俺の話に月の顔が硬直する。
「そんな……の、意味が分から……ないよ……先輩が……兄貴の死んだ双子のもう一人って……分かんないよ!!」
ドンと俺の胸に体を預ける月の背中を子供をあやすように撫でる。
「今、あそこで行われている事、俺たちの目に映っているそれだけが事実だ。見てろよ?先輩が空を番にする。」
「やだ!!やめさせてよ!!兄貴の気持ちは?なぁ、やめさせてよ!!」
俺の胸で縋る月に非情にも首を横に振る。
「Jからの命令なんだ。俺達のような番にもしそれ以上に結びつきの強い番が現れた場合、Ωはどういう反応を示すのか……所詮は実験体なんだよ、俺達は。」
「やめろ!やめてくれ!!それで俺達の気持ちはどうなるんだ?!もし俺にもそういう奴が現れたら同じ事をされるのか?俺が陽を好きなこの気持ちも無かった事にされるのか?!」
泣き喚き、俺を振り払って空の元へ行こうとする月の体をしっかりと抱きしめる。
「俺達にはここで暮らしていく道しかないんだ。今更この体で社会にほっぽり出されても好奇の目に晒されるだけ。αやΩ性で同性同士の恋愛も認めざるを得ないって雰囲気は出てきてはいるがまだまだ弱い。しかも双子の兄弟でなんて……父さんや母さん達に向けられる目の事を考えたら、俺はここで生きていくしかないんだって覚悟したんだ。」
「でも!!だからって兄貴をあんな……っ!!」
「おい!!噛むぞ!!!」
突如、秀先輩の声が部屋に響いた。
俺はいてもたってもいられず、月から離れてシャワー室から飛び出た。
「どうぞ、噛んでください。」
Jの冷たい声がスピーカーから流れる。
「やだぁ!!噛まない……やだ!いやだぁああああ!!」
空の泣き喚く声。
「空……俺の番になるんだ……陽っ!?」
うなじに歯を立てようとした先輩と目が合った。
「すまない……でも、これは俺のモノだ。こうして体を合わせてみて確信した。空は俺のモノなんだ……だから、返してもらう。」
「陽!陽!!助けて!!!」
必死に俺に助けを求める目。俺は拳を握りその目から顔を背けた。
「……どうぞ……返します……」
心を裏切り、空を裏切る言葉を吐く。
見なくても空の絶望した顔が浮かぶ。
一瞬の沈黙の後で切り裂くような絶叫。
「やだぁああああああああああっ!!!」
ぎゅっと目を瞑っても錆びた鉄の匂いが鼻をついた。
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