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第56話
「ラット?」
診療所で目を覚ました俺にJが言った言葉を繰り返す。
「そう、αに時折起こる凶暴化とでも言うんでしょうか?まぁ、そういうものもαにはあると言うことです。」
Jの話を聞きながら、そっと隣のベッドに首に包帯を巻かれて寝ている空を見た。
俺と空を交互に見たJが重い空気を纏ってベッド横の椅子から立ち上がり、引かれたカーテンを少し開けて出て行きながら言った。
「そろそろ空君も起きる頃です。こんな状況でと私も思いますが、状況を伝えても国はそれはこちらには関係ない。何の為に少なくない金をお前たちに使っているのか分かっているだろうと……やめるべきだとわかってはいても国に逆らえないのが我々。申し訳ないのですが、空君が起きたら……」
「抱けってことか?」
俺の言葉にため息を吐きながら頷くと、Jは謝罪の言葉を呟いて出て行きカーテンを閉めた。
「……マジかよ……」
先程自分の身に起こったラット時の記憶が蘇り、助けを呼ぶ月の悲鳴、そして空の絶叫が脳内に響き渡る。
「αがあんな風になるなんて、ラットなんて聞いてない。知らない。でも、俺が空を傷付けたのは事実だ。」
静かにベッドを下りると、薬のせいか少し体がふらついて自分の寝ていたベッドにドスンと尻餅をついた。
「大丈夫?」
音に驚いたのか、それとも既に起きていたのか、空が上半身を起こして俺に手を伸ばした。が、すぐにそれを引っ込めて、大丈夫そうだねと今度は硬い表情をなんとか微笑ませようとしたが、俺の視線と合った瞬間にその表情は強張り青ざめていく。
「空、ごめんな。怖か……ったよな?首も痛いよな?俺、空が先輩に抱きしめられてるの見て、俺だって空を愛してるし、離したくなかったって思いが湧いてきて、どうにもならなくなったんだ。それでなんか……」
「ラット……でしょ?」
「うん……聞こえてた?」
「少しだけ。でも、ここに来てから色々と学校とか同じΩの子とかから聞いてたから、αにそういうものがあるって事は知ってた。ただ、あんなに……怖い……って、思わな……くて……」
さっきのことを思い出したのか空の体が震えている。
「ごめんな、空。ごめん。」
俺の謝罪に空が焦ったように顔を上げて、両手を顔の前で振った。
「あれは、自分でどうにかできるもんじゃないんだから、陽のせいじゃない。だから大丈夫だから……いいよ。」
「え?!」
何が?という俺の顔を見て、もう!と空が頬を膨らまし、顔を赤くしながら俯くと小さな声で呟いた。
「Jの話、聞こえてたから……だから……」
聞こえてたという言葉に全てを理解したが、空を見るとその体はまだ震えている。
そんな空を俺は抱いていいのか?
しかも先輩と番になったばかりの空を抱いて、これよりももっとひどい状態になったら……俺はどうしたら……
黙ったままでいる俺に空が少し顔を上げてこちらを見た。
「陽?大丈夫?」
「大丈夫……ではない。だって、空にはもう先輩っていう新しい番がいて、番以外が抱いたらそのΩには拒否反応みたいなのが出るって分かってるのに抱けるわけないだろう?!さっきはラットっていう特殊な状況だったから抱いちゃったけど、普通の感覚だったら抱けるわけない!!抱けるわけないんだ!!」
俺の言葉に一瞬唖然としていた空がふふっと笑いながら涙をこぼした。
「どうした?!どこか痛いのか?!」
空に駆け寄り、その体を労わるように優しくふれた俺の手を空の手がそっと握った。
「空?」
「俺、嫌われたわけでも飽きられたわけでもなかったんだね?良かった……」
空の言葉に俺自身が驚くくらいの思いの外大きな声が出た。
「そんなわけないっ!!」
俺の声に驚いた空が目を丸くして再び笑い出す。
「笑うなよ……俺だって本当は嫌だって言いたかった。俺の大事な番をなんで後から出てきたやつに掻っ攫われなきゃなんないんだって思って、シャワー室でその怒りを月にぶつけてた……後で月にも謝んなきゃな。」
ため息をついて反省する俺の頬をいきなり空の指がつねった。
「いてっ!!なんだよ、いきなり!!」
「ズルい。俺が辛い思いしながら秀君に抱かれていた時に二人でそんな事してたなんて……必死に陽のこと呼んでた俺を無視してそんな事してたなんて、ズルい!!」
ぷっと頬を膨らませて横を向いた空の顔を両手でそっと挟むように触れると俺の方にその顔を向かせる。
「ごめんな。本当はこれ以上空に辛い思いをさせたくない……でも、空を先輩から奪い返したいって、もう一度そのうなじを噛んで俺の番にしたいって欲望が俺を苛むんだ。」
「……あのね、秀君に抱かれて、その、すごく気持ち……良かった。でもね、番になったって、秀君と番になったって分かってはいるんだけど、今でも俺の気持ちは、心は……っ!」
続かない言葉の代わりに俺を見つめる潤んだ瞳。
無言で抱き寄せ、その耳に囁いた。
「ダメだったらすぐに言えよ?」
こくんと黙って頷いた空の震える唇に自分の唇を合わせる。
「どう?」
「ダメだったら言うから……聞かないで……」
開いた口の間にそっと舌を滑り込ませ、まるで初めてのようにゆっくりと舌を絡めていく。
「んっ!んん……んっ!」
甘い声と吐息、首に回された手に力が入り腰が揺れて俺を誘う。
「空……愛してる。誰の番になろうが関係ない。愛してるよ、空……」
「俺も……愛してる。もう、我慢できない……早く……」
空の甘い声が俺の頭から先輩のことも番のことも拒否反応のことも忘れさせ、俺は空をゆっくりとベッドに押し倒した。
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