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第3話
高校生になった和希の側には、相変わらずユキがいた。
「和希。そろそろ起きないと、学校に遅刻しますよ」
「ん……。おはよう、ユキ。起こしてくれてありがとう」
和希はベッドの中で大きく伸びをした。空の色は、今日は薄紫だ。
「どういたしまして。朝食できてますからね」
そう微笑むユキの顔は、初めて会ったときと寸分違わずきれいだった。思わず朝から見惚れそうになって、和希は慌てて頭を振った。
あれからルーイとは和解して、いまではふつうに友人同士のつき合いだ。
最近、和希はユキのことが気になってしかたなかった。初めて和希の家に来てから、ユキは相変わらずユキなのに、一見何の変化もないように見えるユキが、いまではだいぶ表情も増え、感情も豊かになっていることに、和希はとっくに気づいていた。
気がつくと、いつの間にかユキのことを目で追ってしまう自分がいる。
ふと目が合って、その目が自然さを装うように、ふいっとそらされた。
ーーユキ?
「早く着替えてくださいね」
そういって、いつもと寸分違わず同じ表情で微笑んだユキは、和希の部屋から出て行った。
「なあ、知ってるか? A地区で違反者が出たんだって」
和希の耳に初めてその噂が入ったのはいつだったか。
「違反者?」
授業を終えた和希は、ルーイと一緒に学校がある第四地区から、居住地区への長い廊下を移動していた。
「違反者ってなんの?」
「アンドロイドと、恋愛して見つかったやつがいるんだって」
和希の心臓が、どきりと妙な音を立てた。
「それって、どういう……」
「セックスしてるのが見つかったらしいぜ」
必死に平静さを装う和希に気づかないルーイが、皮肉な笑みを浮かべる。
「なんでアンドロイドなんかとセックスできるかね」
「……その違反者はどうなったの?」
和希の心臓は、いまや飛び出しそうだった。
「さあ? なんでも、そのアンドロイドはバラバラに破棄されて再利用されるか、ビルの外から出されて、下層部の労働用として使われるんじゃねえの」
たんに話題として出しただけで、ルーイの関心はすでにほかに移っているようだった。ルーイはまだ何かを話し続けていたけれど、その内容はこれっぽっちも和希の耳には入ってこなかった。
手のひらが緊張のあまり、汗で冷たくなっている。和希はこぶしをぎゅっと握りしめた。
その夜、和希はひどい夢を見た。それは、ユキがどこかに連れていかれる夢だった。
「ユキ! ユキ! ユキー……っ!」
幾ら叫んでも、和希の言葉は届かない。ただそこには闇が広がっているばかりだ。
パジャマにびっしょりと汗をかいて飛び起きた和希は、暗闇の中でぜいぜいと荒い呼吸をした。涙の跡で頬が濡れている。夢を見ながら泣いてしまったのか。
夢の記憶はあまりにリアルで、和希はぶるりと身体を震わすと、両腕でぎゅっと自分の身体を抱きしめた。
「和希?」
ドアが開く。ドアの隙間から、廊下の明かりが一筋の光になって部屋の中に伸びている。
「悪い夢でも見ましたか?」
ドアの前でユキはわずかな躊躇いを見せたが、何事もなかったかのようにそのまま和希の部屋に入ってきた。
「ユキ!」
ベッドから掛け布団が落ちる。転がり落ちるようにベッドから下り、そのまましがみついてきた和希を避けるでもなく、ユキの手がおずおずと和希の背中に回された。
「どうしたんですか。今夜の和希は、小さな子どもみたいですね」
「ユキ! ユキ! ユキ!」
和希に回されたユキの腕は水のようにひんやりとしていた。その冷たさが哀しくて、和希は自分の体温をユキに移してあげたいと思う。
「ずっと、一緒にいて。俺、ユキのことが好きだ。ずっとユキの側にいたい」
腕の中の身体が、びくりと震えた。
しばらくして、
「だめですよ」
静かな声が返ってきた。
「いくら似ていても、わたしたちは和希たちとは違います。まがいものにすぎません」
「いやだ……っ!」
離れようとする気配を感じて、和希はますますその腕の力を強くした。腕の中にぎゅっとユキを閉じこめ、離さまいとする。
淡々と説明するユキの声が哀しかった。
「いやだっ! ユキはまがいものなんかじゃないっ! ユキは、たったひとり、ユキだけだ……っ! 俺のユキだ……っ!」
「和希……」
暗闇で、ユキと目が合った。そのまなざしは不安そうに揺れていて、初めて見るユキの姿に、和希はがつんと頭を殴られた気がした。
「ユキ……。俺、ユキとキスがしたい……。ユキは? 俺とキスしたくない……?」
「……だめ、です……和希……」
最後の言葉までを聞かずに、和希はユキに口づけた。ためらうように、その目が伏せられる。長いユキの睫毛は、蝶の羽ばたきのようだった。
ーー甘い。
和希は初めての口づけに夢中になった。ユキの唇は和希のそれよりも柔らかくて、気持ちよかった。そのあわいからそっと舌を差し込むと、和希の腕の中でユキがびくびくっと小さく痙攣した。
「ユキ。好きだ。ユキ、かわいいーー……」
好きな相手に触れるのはこんなに気持ちがいいものなのか。ユキに触れている部分から、じわじわと幸福な何かが溶けてあふれ出してしまいそうだった。
「和希……」
和希の腕に回されたユキの腕が、和希の気持ちに応えるかのようにぎゅっと力がこもった。
「ユキ、ユキーー……」
「和希……。わたしも、……和希が好きです。これが、愛しいという気持ちなんですね……」
水晶のようなユキの瞳から、つ……、と透明な滴がこぼれ落ちた。
「ユキの名前はね、雪からつけたんだよ。空から真っ白な、羽根のようにふんわりと柔らかい雪が降ってくるんだって。きっと、それはユキみたいにきれいだろうね。」
いつか一緒に見ようね。
和希の言葉を、ユキはうれしそうに聞いていた。それが、和希がユキを見た最後だったーー。
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