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#5 宝物

 日本史の机上のやり取りはその後も続いた。  奴は依然屈託ない落書きを残し、何も変わらずにいたが、俺は違った。  俺にとって落書きの主は、あの橘柚弥になった。  落書きが中断した理由も解った。  あの後我慢できず昼休みに見に行った机で、厳めしい顔の蟹が二匹に殖え、奴の描いた蟹が『戦が忙しくてお休みだったよ』。  それまでの授業は源平の一連の争いが三回に渡った。それに夢中だったらしい。そういえば落書きがない時は、何かの戦いが起きた時だった気がする。小学生か。  その小学生みたいなところも、結構オタなのも、そして笑うと物凄く無邪気な顔になるのも、今までの橘の印象からかけ離れた姿を知れば知るほど、何故か俺の心を複雑に落ち着かなくさせた。  これ以上奴を知らない方がいいという靄みたいな警鐘を感じていた。  もう一つ憂鬱になる予感は早くも当たった。  休職中の担任が復帰することになったのだ。  一学期終了を前に、元々期間限定だった社会科教室を使ったこの授業は、終わりを迎えることになった。  ここでの授業が最後の日、始めから用意されていたかのように、更新された落書きは某アニメの最後の敵。敵に取り込まれた主人公の弟だ。  イラ部かと紛うくらい、今までで最高の出来だ。そして傍に書かれた言葉が胸を突いた。 『次は どこにかけばいい?』  次はない。俺と橘はクラスも違う、そもそもここ以外、この机の上でしか繋がりのない関係だった。地味で隠キャな俺と、表も裏も華やかな橘はあまりにも遠い。  次なんてない。その言葉は伝えたくなかった。だから俺は、橘には短足だから嫌いと一蹴されたけど、あのアニメで俺が一番好きな敵を、判別出来るまで一時間かけて描いて残した。 『俺はコイツが好き。不細工だけど、がむしゃらな生き様が』  じきに夏休みだ。日本史は各組で行われ、橘との繋がりも途絶えた。  時折姿を見ることはあったが、それだけだった。  この日もたまたま、教室に入る手前で他のクラスの奴と談笑していた。 「それ、ロボットに乗って戦うやつの敵でしょ」  会話が聞こえて、相手が橘のスマートフォンの背を指す。  何の内容かは知れた。俺はその横を通り過ぎようとした。 「何でそれなの? 結構きもくね?」 「えー……」  橘は持っていた携帯を裏返した。 「いいじゃん。だってこれ、不細工だけど、がむしゃらな生き様がさ」  振り返った。  愉しそうにそれを見た橘が、携帯を掌の中で翻す。  指の隙間から背面が見える。貼ってあるのは、 きらきらした四角のじゃない。  六番目じゃない。あれは、不細工な短足の――。 「それ……!!」  出し抜けに大声で、目の前に割り込んだ俺に、二人はぎょっとした。 「俺もそれ、好きなんだけど……っ!」  どうなるか判らない。  何もない、きっと。ただ地味で不細工なりに、進んでいただけなんだ。  大きく見開いた橘の瞳は、やがてあの時と同じ、宝物を見つけたみたいにきらきらして、そんな顔見せるなってくらい、子供みたいな顔して、微笑った。

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