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#4 カニ
前髪を掻き上げ、橘はたらたら俺の指定席の方へ向かう。
俺は口をもごもごやりながら、内部では激しく感情が渦巻いていた。
え? あいつなのか? 違うだろ。
だってあいつ金髪で派手でチャラチャラしてて、アニメとか対極の、真っ先に馬鹿にしそうな空気が充満している。
確かに席は自由だ。けど寄りによって何で今日その席だよ。もうすぐ席に着いてしまう橘の背を凝視しながら俺の頭はフル回転だ。
「あ、忘れ物!」と割り込むか。でもそれで移動するか判らないし、落書きを見た場合それが俺だとばれる。
そう。今日机には新たな落書きがある。――俺が描いた。
落書きの主が座った場合、高確率で食いつくものを用意したのだ。今まで頑なに避けて来た俺が、絵を描いた。
キャラ物は諦めた。俺のもう一つの得意分野は日本史だ。
これまでのやり取りから、奴は一風変わったキャラや生物を好むらしいことが判った。
今日の授業は壇ノ浦の戦いだ。
『平家ガニっているらしい』
厳めしい顔をした、甚だいびつな蟹が机に鎮座している。
その蟹がいるのだ。止めることも出来ず、もう橘は椅子に手を掛けている。
ああもお前に描いたんじゃないし。茫然と見守る俺の先で、既に机に視線が向けられている。
橘の瞳が見開かれた。机に顔を寄せ、途端にぐっと口を覆った。
「うっわ、何か変なのあるし!」そんな台詞が飛んでくるかと、俺は天を仰いだ。
でも、視界の端に残っていた橘の様子が変わった。
口を覆っていた両の掌から、隠しきれない、宝物を見つけた子供みたいな笑顔が、光が溢れるように零れ出ていた。
天を仰いでいた俺の顔は、知らず橘へ向けられていた。
橘がスマートフォンを取り出す。嬉しそうに綻ぶ唇で机に向けた。
『今までのは全部撮影済』。鉄オタみたいに何度も角度を変えてシャッターを切る。
そして見てしまった。机に向けた携帯の背面、指の隙間から。
――六番目の敵の、ステッカーが貼ってあるのを。
「ユッキー、いつも何撮ってんの」
「ひみつぅ」
橘は着席し、落書きを見てもう一度吹き出した。そして楽しそうにそれを見つめながらごろごろ机に寝そべった。
指の中で回るシャープペン。何描こうかなぁ。机にくっついた瞳が心踊らせている。
「リョーウ、物理始まっぞ」
ドアの外から、同中 の祥之 が呼んでいるのは一応聞こえた。
でも俺は、まだすぐには動けずにいた。
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