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第4話
どうしよう。どうしてこの人は大声で怒鳴るんだろう。
「このお優しいレヒト様がわざわざ、こんな辛気臭い場所に、貴様の戦力外通告に来てやったんだ、役立たずめ!そもそも実力不足のお前が功を焦って突っ走ったせいで、亜人どもを一網打尽に討ち取る計画がご破産になったんだぞ。貴様分かっているのか?貴様のせいで今まで積み重ねた時間も人脈もかかった経費も無駄になったんだ。スタラ家など酷い有様だった。住人は当主、妻子、屋敷の下級召使に至るまで惨殺だぞ、トカゲの尻尾切りとはいえあまりにもむごい。お前だけが五体満足で生き残るなど、亜人どもと何がしかの取引があったのだろう、違うか何か言え!!言ってみろ!!」
お優しいレヒト様やらの声は耳を右から左へ、あるいは逆方向へ荊 の枝を束ねた棒を突き刺すような声だった。
激しく叩きつけるように乱暴で、恐ろしい。
その上次から次へとまくし立てるので、最後には何を言われていたのかわからなくなってしまった。
長いよ。
もっと、ゆっくり優しく言ってくれないと、考えるの追いつけないよ。
この人はおれの身体 とはどういう関係なんだろう。
なんで会ったすぐにこんな大声で怒鳴るんだろう。
背はディランより高く、横幅も太い。砂茶色の怒り狂った闘牛みたいだ…。
「あやしい、お前はすでに亜人に取り込まれているのだろう!俺の目はごまかせんぞっ!!」
ディランがいなくなるのを見計らったように部屋に入って来た大男は怒鳴った。そしてベッドの上に身体を起こしていたおれの頭に、懐から出した聖水の瓶の中身をびしゃっと流しかけた。
たれた聖水がおれの顔からしたたり落ち、顎や首をつたい胸まで濡らす。
…お肌つるつになっちゃうよ?
そしてかれは「これでも喰らえ」とニンニクの首飾りをおれにかぶせ「これでどうだ」とおれの手に銀の十字架を持たせた。
十字架の交差する境目にうっとりするような青い宝石がはめこんである。
サファイアかな?
きらきらしてなんて綺麗なんだろう。
こんな高価なもの、くれるんだろうか?
「ελεμ?」
くれるの?と見上げて気がついた。十字架にはまった青い宝石と、お優しいレヒト様やらの目は同じ青い色をしていた。眉も眦 も険しく切れ上がっているけど、うわぁなんて澄んだ綺麗な目だろう。
アシェルの緑の目も綺麗だったけれど、レヒトも濃いしたまつ毛の上にサファイアが鎮座してるみたいだ。
いいなぁ。
ニンニクの首飾りは何だろう?これを食べて精をつけろってことかしらん…?
ニンニクって生でかじれるのかしらん?
おれ、ニンニクより白桃がいいなぁ…。
あれ?
自分の目の色の物を贈ったり、給餌したりするのって求愛行動なんじゃないの?
あれ?
おれ求愛されてるの?おれじゃなくてアシェルが?でもアシェルにはディランがいるよね。
それに、求愛対象に怒鳴ったりするのは変だ。
求愛はいらないからこれだけ、くれないかしらん?
おれは十字架を胸の前でぎゅっと握りしめた。
「ελεμ?」
くれるの?くれないの?どっちなの!?
おれは右に左にと首を傾げてレヒトを見上げた。おれたちは数秒見つめあった。
彼の手は腰の帯剣の柄にかかっていた。
「き、貴様なんの真似だ!?こ、この私を誘惑するつもりか、この魔性め!!」
レヒトはまた怒鳴った。
怒りのせいか顔があかい。
おれがアシェルの形の中に収まって人間のように振る舞っても、レヒトはおれが魔性に見えるのか!
マスターみたいにそう云うのがわかる人なのかな?
じゃぁおれが『人工生命体 』だって云うことをもしかして理解してくれてるのかな?もしそうならおれが上手く話せないから、ディランに説明してくれないだろうか。
おれが人間じゃなくて、『人工生命体』ですって。
でも、おれ、どっちなんだろう。人間?レヒトが云う亜人?
昨日よりもずっと動く手は落としもせず綺麗な十字架を握っていることができた。
身体を支えてもらわなくてもベッドに座っていることもできる。
痩せているけれど、長い手足が思うように動く。
意識しなくても鼻と口で呼吸して、皮膚がぬるぬるしていなくても痛くない。
ガラス瓶の中にいて、思わぬ方向にもにょもにょしていた時とは大違いだ。
もしかしておれ、ちゃんとした人間になれたんじゃない?生まれ変わるみたいに。
「レνΓ…?」
レヒトはおれが亜人とか魔性に見えるの?と聞こうと思って再度仰ぎ見た。
でも、この様子だと、おれが人間じゃないとわかったらおれのことを斬っちゃうんだろうか。
アシェルは辛い思いをして、酷い目にあってやっとディランに会えたんだよ。
人間の仲間に疑われ、これ以上酷い目にあうなんて可哀想だよ。あんまりだよ。
いじめないで、アシェルの体をいじめないでよ。
唇がふるふると震えるしちょっと目がうるうるしちゃった。
彼はおれの心の奥底、迷う心のありようまで刺すような視線で見ていた。
サファイアの針か錐 みたいに。
それからなめし革で出来た大きな手袋みたいな手で俺の肩を掴んだ。
「おまえ…もしかして」
怒鳴りさえしなければ、レヒトは低いけれどよく通る男らしい声をしていた。
頬骨のあたりまで薄赤く紅潮しているのは怒鳴りすぎたせいなのか、彼は一度深呼吸した。
彼の視線がおれの喉とか、濡れた胸元あたりさまよった気がした。あとはだけかけた腰回りにも彼の視線は突き刺さった。
もうすごく怒っているようには見えない。十字架をくれるかな?
これ、とても綺麗だから欲しいんだけど…おれは十字架の青い宝石にちゅっと唇をつけた。
レヒトはおれが思っていることをわかってくれたのか、どうなのか、ただ目を見開いて呻いた。
「い、いや私はそんな見え透いた媚態に惑わされることなどない!…断じて」
そう言い放つとおれの手から十字架を奪い取り、乱暴に肩を押した。
…そうだよな。ただではくれないよな。
…その十字架とっても高そうだもんな。見ず知らずの…知っているのかもしれないけれどよくわからない相手にやったりはしないか。いつか飽きたらくれないかなぁ。
おれはついじっとりと残念そうにその十字架を眺めた。
「お前が囚われていたスタラ家ではおぞましい実験が行われた跡が数多く残されていた。警邏である我々が到着する前に火をかけて証拠隠滅を図ろうとしていたのだろうが、残念ながら多くが燃え残っていたのだ。お前も虜囚であったなら何かしら見たはずだ。牛の腹と人の胎児が繋がれたり、男と女の身体を縫い合わせたり、豚の体に人の手足を継いだような化け物を、その手術を行った者の顔をお前は見ただろう?お前が鎖で繋がれて慰み者になっていたと云う話は聞いている。…そこで仕込まれたのかそんなふうに」
レヒトは怒鳴りはしなかったけれど、また早口でまくし立てた。
「私は別にお前になど興味はないが、お前があさましくもみ…」
レヒトが最後まで言う前に、扉を弾き飛ばすような勢いでディランが飛び込んで来た。
レヒトが何て言おうとしたのかわからないまま、二人はもみ合いになり、殴り合いになり、レヒトが外に押し出された。
ディランが素早く扉を閉めて鍵をかける。扉を外から蹴るか殴るかするような音が響いた。
ほぅほぅ!ディランの方が強い雄なのか。
人間は見かけによらないな。
「アシェル、何もされてないな?」
聖水をかけられたけれど、顔にかけられた分は乾き、服はまだ濡れていたけれどおれは全く気にならなかった。ぬるぬる、ぬれぬれが好きだからな。
ディランは疲れた顔でおれにかけられたニンニクの首飾りを取り上げて部屋の隅に投げた。
「あいつはお前のことを吸血鬼だとでも思ったのか…?」
ディランは何か不思議なことを言った。
人間は吸血鬼にニンニクを贈る習慣でもあるんだろうか?
ディランはおれの両手を取ると手のひらを確かめた。手のひらは荒れていたけれど、ディランと比べると柔らかいようだった。ディランは頬や首はすべすべしているのに、手はがさっとしてる。
「吸血鬼なら、十字架を持つと焼け爛れるからな。お前が吸血鬼なら夜の間に俺が襲われているはずだ…。疑ってすまなかった」
ディランはぶっきらぼうに口先だけの謝罪をした。
あれ?
昨夜何度もおれを置いて出て行こうとしたのは、もしかしておれが吸血鬼で、ディランに襲いかかるかもしれないと思われていたからなの?
「嫌な気分になっただろう?すまない。聖水をかけたり、ああするしか他なかったんだ。猟奇的な事件が立て続けに起こっていたのはアシェルも知っているだろう?お前が失踪…囚われてからも事件は続いていた。血を吸われたり、食い殺されたような他殺体が見つかっているんだ」
お前を置いて行こうとしたわけじゃなくて、報告を聞きに行こうとしただけなんだぞ、とディランはおれの頭を撫でた。
おれはディランをしげしげと眺めた。
アシェルが会いたがっていた人。アシェルが愛していると言った相手。
黒っぽいウールの上着とズボン、皮のブーツ。胸元には飾り気のない白いシャツの襟が覗く。身につけているものに目を引くような物は何もない。だがその地味な衣服の下に鍛え上げたたくましい肉体が潜んでいる。
肌は日に焼け、きりっとした甘さのない顔は厳しく、恋人がいるようには全く見えなかった。暗い日陰の巨木の幹のような濃い茶色の髪は乱雑に後ろにまとめられている。
昨日闇夜のようだと思った髪と目は黒ではなく焦茶色だった。
瞳が青だったら良かったのに、と一瞬おれは思ったけれど…。『だから俺はおまえのその緑の瞳が好きなのだ』とディランが言ったのを覚えているような気がした。
そこでおれはまたあれ?っと思った。
恋人がいるようには見えないなんて、俺に人間の何がわかるわけでもないのに変だな。それにおれがディランのそんな言葉を知っているはずがない…。
アシェルの記憶?
ディランは、おれの目が緑色じゃなくても好きでいてくれるだろうか。
それより何より、中身がおれでも良いと言ってくれるだろうか。
アシェルは、マスターに捕まったばかりの頃は口達者で言い返していた。
おれ、きっとあんな風にはできない。
今日みたいに何を言われているのかどんどんわからなくなっちゃうよ。
ゆっくり話してくれなくちゃ…。
おれ、恋人も友達もいなかったから…。
残念な事に、マスターの元には『人工生命体 』はおれ一体しかいなかった。
魚にも鳥にも蛇にも番う相手がいるのにおれはずっとひとりぼっちだった。
だから…だからって云うのも変だけれどおれは見るのが好きだった。
アシェルにはすごく悪いけれど、アシェルがマスターに抱かれているのを見るのが好きだった。
魚とか鳥みたいにすぐ終わっちゃうのと違って、すごかった。
おれの萎びた体と違って綺麗だったから羨ましくてならなかった。
ごめんね、アシェルおれひどいやつで。
ディランは、しないのかな?
マスターがしてたみたいな事、しないのかな?
扉の外で誰かが宥めるようなたしなめるような声が二、三度した。
そして静かになった。
ディランはおれの身体を布団で包んで横たえてしまった。
こっちの寝るじゃないんだけど。
おれが見つめると、休まないとだめだと言って優しく髪を撫でた。
ごめんねアシェル、ごめんねアシェル。ディランはアシェルの大事な人なのに、おれしてみたいんだよ。
アシェルがマスターにされてたようなこと…。
おれの身体を心から心配してくれているような真摯な眼差しとかち合うと、恥ずかしくて顔を上げていられなくなって、おれはふわふわの羽布団の中に潜り込んだ。
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