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第10話
どうしよう。おれが…というかアシェルが休んでもいいよと言われた二週間という期限は明日で終わってしまうのだ。そうするとおれはともかくディランは公務に復帰することになる。離れた場所におれを置いてお仕事に行かなくちゃいけないんだ。
おれの復帰は絶望的だとお医者さんも神官も、レヒトさえそう言った。
「剣も振れず、馬にも乗れず、走れもしないのに戻れるわけがないだろう」
とレヒトは至極当然のように言った。
そうだよね…。
すぐに疲れてしまうし、得意だったという計算もできない。両手の指を出せば十までは数えられるよ。足の指を使えば十が二つまで数えられる。でもそれじゃだめだって。
話すことはできるようになってきていたんだけど。
声が出るって気がついたのは、その、ディランとにゃむにゃむしてる途中からだった。
「ディラン…だめ」って。
ちゃんと出た声が、制止を求める台詞だったことがディランは気に食わなかったみたいだけど。
ただ、何か話そうと思ってもなかなか言葉が出てこなくて喉が詰まったようになってしまうんだよ。言葉より先に、額から汗がだぁだぁ出ちゃうんだ。
アシェルがしてた仕事は討伐任務や斥候といった役割の他にも隊の報告書の清書とかあるそうなんだけどね。ペンを持てるようになっても字を綺麗に書くのは難しかった。
字を知ってるように思うんだけど…。
書き写すことは出来ても、お手本がないと何にも書けないし誰かの言葉を聞きながら書き留めるなんてことは出来そうになかった。
建物の中でいろんな書き物をするのも現状ではお前に任せられない。お前が戻る隊 はない。そう言ったのはディランじゃなくてレヒトだった。
役ただずだと言われているのだ。
レヒトは意地悪で言ってるわけじゃなかった。
レヒトは無理をしなくて良いって言った。ゆっくり休めって。
ディランがいないのを見計らったように来て、おれの隣に座って、桃の切ったのや葡萄の粒をおれの口に押しこむんだ。半分こしたり、すっごく甘いのの食べかけをくれる時もある。
おれが肉や魚があんまり食べれないのを知って親鳥みたいにせっせと餌を運んでくれた。餌じゃなくて、人間は食事って言うんだったな。
レヒトはディランみたいに怒ったりしなかった。
初めて会った時みたいに、バーンて扉を開けて怒鳴ることなんてない。レヒトはいつも優しくしてくれた。
「どうしたんだ」
「なんで出来ないんだ。まだどこか痛むのか?どれぐらい休めばよい?どうすれば良い?」
ディランはそう言っておれを追い立てた。
怒っているのとは違うのかもしれないけど、気遣いながらおれが良くならないことを不安に思い苛立っているみたいだった。
ごめん、ごめんねディラン。
ディランの優秀な片腕とか、ふところがたな、って言われてたようなアシェルにはおれはなれそうもない。
がんばってはいるんだけど、アシェルはとっても優秀だったんだね。追いつけそうもない…。
手足が折れていたり、お腹を何針も縫うような大怪我だったならもっと長く休めたのに、おれは外見上にそこまで酷い怪我はなかったから。
本当は首を切られてたしぼろぼろだったけど…。それは塞いじゃったもんね。
おれはいつまでここにいられるんだろう?
ここにいちゃダメって言われたらどこに行けば良いんだろう?
…マスターはどうしているんだろう。そう思うと胸がきゅっとした。おれをミキサーにかけてドロドロにしてアシェルの中に流し込んで、マスターは何をしたかったんだろう?
マスターは何て言ってただろう。
何かすごく大事なことを言ってた気がする。
思い出そうとすると頭の内側を砂利でこすったみたいに痛くなる。
『…お前の大事な隊長が、俺の大切な人を殺したから』
アシェルの大事な隊長がディランで、ディランがマスターの大切な人を殺しちゃったの?
ディランはちょっと怖い所もあるけど、人殺しをするようには思えなかった。
おれ、ディランのこと何にも知らないのにね。
マスターはアシェルの首を切って殺して、ディランに見せつけるつもりだったのかな…。それじゃぁなんでおれをこんなふうにしたんだろう…。
『これは正当な復讐なのさ』
マスターのいう正当な復讐っていうのがおれにはわからなかった。
もし。
もしも、マスターが言った通りにディランがマスターの大事な人を殺しちゃったなら。
そういう大事な人を殺し合うのが人間の復讐のやり方だとしたら何て恐ろしいんだろう。何かの間違いじゃないのかな…。
どっちが悪いのかなんて聞けそうにない。
マスターが全部悪いんだって思いたくないんだよ。マスターは優しかった時もあったから。
何があったのか聞こうにもマスターはいないし、ディランは怖いし。
ディランにいらないって言われたら、おれはどうしたら良いんだろう?
おれがちゃんとなんでも出来ないと、アシェルの形をしていてもディランは嫌なのかも知れなかった。
嫌いとは違うのかな…にゃむにゃむしたし。それもいじめられてるような気持ちになる時もあったんだけど。にゃむにゃむしている間はディランは離したくないみたいに何度もぎゅうってしてくれたから。
今日だって「何も心配しなくて良い」ってディランは出て行った。何かしてても、していなくても心配ってしちゃうんだよ。
おれは落ち着きなくうろうろと神殿の庭を歩き回った。
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