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 ―― 日常の快楽(3)

 先端にじわりと滲んだ雫が下着を僅かに濡らした。  下着越しに触れてくる緩い刺激がもどかしくて、もっと触ってと懇願して涙を流すように。  見ず知らずの、顔も見えない誰かに触られているということが、少しは興奮の材料になっていて、僕の中の淫魔を呼び起こす。  声に出してしまいそう。  ―― 直接触って…… と。 「濡れているね…… もっとして欲しい?」  男に耳元で囁かれて、思わず頷きそうになる。  俯いたまま黙っていると、下着の中へ潜り込んできた男の手が、熱くなってしまった屹立を握り、爪の先で先端を遊ぶように弄くられる。 「…… は…… ぁ……」  ピクリと顔を上げて、唇から吐息が漏れた。  僕の湿った息で曇った車窓の向こうに川が見えてくる。  電車は鉄橋を渡り始めていた。  もうすぐ駅に着いてしまう。 僕の降りる駅に……。  次の駅は、こちら側のドアが開いてしまう。  それなのに男の手は、直接触れてくるものの、ゆるゆると焦らすように下着の中でまだ動いている。  電車が鉄橋を渡り終えると、石畳の通学路の桜並木が見えてくる。  車窓から見える、美しい桃色のグラデーションが、何処までも続いているような幻想的な風景。  ―― ここから見えるこの風景が好き。  電車の速度が落ちて、車掌のアナウンスが聞こえてくると同時に、男が僕のズボンの中から手を引き抜こうとした。  ―― 駄目だよ…… 逃げないで。  僕は手の中に隠し持っていた安全ピンの先端を、離れようとしている男の手の甲に突き立てた。 「―― つッ?!」  安全ピンが刺さったまま、男が無理矢理手を引き抜いた。  浅くしか刺さっていない安全ピンは、すぐに取れてしまい、満員電車の床へ吸い込まれるように消えていく。 「―― おまえっ何するっ?!」  男は痛そうな顔をして、刺された手を上に上げる。  その手首を、僕の隣に居た同じ制服を着ている生徒が捕まえてネジあげた。 「おっさん、痴漢かよ、変態」 「わ、私は別に…… この子が……、」  男は掴まれていない方の左手で、僕の肩を強く掴む。 「…… 放して。 ゲームは終わりだよ、おじさん」  驚いている男に微笑んで、ドアが開く前に乱れた制服を整えていると、何処からか見られている強い視線に気付く。  後ろを振り向いて見渡してみても、満員の人混みに遮られて分からない。  ―― 気のせいかな…… 。 「…… どうした伊織(いおり)? 降りるぞ」  男の手首を掴んだまま、開いたドアからホームに降りた同じ制服の上級生、速水 凌(はやみ りょう)が振り向いて、まだ車内にいる僕の名前を呼んだ。

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