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 ―― 日常の快楽(5)

「うるさい、放せよ」  肩に置かれた凌の手を一度は振り払うけど、すぐにまたその手に肩を抱き寄せられる。  ―― しつこい……。 チッと小さく舌打ちしてみせても、凌は気にすることもなくまた耳打ちする。 「疼いてしょうがないくせに」  言われてまた身体が熱くなるのを顔を背けて誤魔化した。 だけど、凌はそんな僕のことをとっくに見透かしてる。 「痴漢なんかに触られて感じていたくせに」 「…… んなこと、ない」  ―― 感じてなんか……。 「うぉーい! どこ行くんだよ、俺も行く!」  背後から隆司の声が追いかけてくる。 「お前は来んな! 担任に保健室に行ってるとか、適当に言っとけ」  凌と隆司は同級生だけど、立場が強いのは凌。 友達と言うよりは上下関係がはっきりしている関係で、隆司は凌に言われると、いつも反論すらしようとしない。  ふん……と、僕は鼻を鳴らして凌の手を振り払い、階段を駆け上っていく。  ―― 少しでも空に近い所へ。  外に続くドアを開けると、途端に春の匂いを風が運んでくる。  屋上の手すりの所へ走って行くと、春の景色が目に飛び込んでくる。  手すりの内側に張り巡らせられている、背の高いフェンスに身体ごと飛びついた。  ガシャン! と大きな音がする。  高くそびえ立つフェンスは、まるで檻のように見える。  さっき始業のベルが鳴って、全校生徒は体育館へとアナウンスが流れていた。 誰も居ない校庭から、視線をもっと遠くへ向ける。  学校の外を流れる川と、それに沿うように続く桜並木。 川から吹いてくる優しい風は、火照った頬を優しく撫でてくれる。  僕はフェンスに足を掛けて、上へとよじ登った。  手すりよりも高い位置まで登ると、全身に優しい風を感じることができるから。  さっき電車の中で高められた身体を、宥めてくれるような優しい風。 (気持ちいい……)  目を閉じればフェンスがある事も忘れることができて、手を離せばそのまま飛んでいけそうな気さえする。 「おい! 何やってんだ!」  僕を追いかけてきた凌が、慌てた様子で腕を伸ばして、僕をフェンスから引き摺り下ろそうとした。 「―― 離してっ」 「危ないだろが! 降りろよ!」  しっかりと腰に巻き付いた力強い腕に僕は抵抗なんて出来なくて、そのまま下へ抱き抱えられるように降ろされてしまった。  ガシャンガシャンと、フェンスの金属音が屋上に鳴り響く。 「せっかく気持ち良かったのに……」  不機嫌そうに言ってやったのに、凌はそのまま僕の身体を強く抱きしめる。 「バカ。 このフェンスはもう古くてガタがきてんのに、もしも落ちたらどうすんだ」  ―― 落ちたら…… 自由になれるかな。

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