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 ―― 日常の快楽(12)

 誰かの視線を感じた。  じっと僕を見てる。  真っ暗だった闇が段々と白んできて、薄っすらと浮かぶシルエット。 「あ……、気が付いた?」  ぼんやりとした視界に映ったのは、知らない男。 ここは何処だろう……。  僕が寝ているベッドの周りには、白いカーテンに囲まれていて。 その向こう側の窓から、明るい陽射しが薄いカーテンを透してベッドまで届いていた。 「分かるかい? ここは保健室だよ」  ―― 保健室……。  さっきまで僕は、凌と屋上にいて…… それから…… 凌は何処に行ったんだろう……。 「凌は……?」  そう言いながら、起こそうとした身体は、鉛みたいに重く感じる。 「ああ、急に起きちゃダメだ。 君、貧血で倒れたんだ」  そう言って、その男は起きようとした僕の身体を、やんわりと制した。  ―― 貧血……。 「君をここに連れてきた子なら、一度教室に帰したよ。 後で迎えに来ると言ってた」 「アナタ…… 誰?」  保健室の先生でないことは確かだし、今日から二年になるけれど、こんな先生は見たことがなかった。 「君の担任で、藤野 明人(ふじの あきと)と言います」  男は、コホンとひとつ咳払いをすると、優しく微笑んでそう言った。 「…… 見たことない」  優しい男なんて、信用できない。 「そりゃそうだ。 着任したばかりだからね」 (ふーん…… 本当に教師なんだ。 なんか、おとなしそうで、扱いやすそう)  この時の第一印象は、そんなものだった。 「気分はどうだい?」 「…… っ、」  突然、僕の頬に触れた先生の手に、ピクリと身体が震えた。 「あ、ごめん、まだ身体が冷たいね。 寒くないかい?」 「…… 別に……」  敏感に反応してしまったのは、先生の手が暖かくて、少しびっくりしただけだ。 「ところで…… 鈴宮…… 伊織くん?」 「……」 名前を呼ばれても、返事をせずに視線だけを先生の方に向けると、彼は少し困ったような顔をして言葉を続けた。 「…… あの…… 君は全校朝礼をサボって、屋上で何をしていたの?」 (―― 屋上で何をしていたかだって?)  先生の質問を頭の中で反復すると、可笑しくて笑いそうになる。 「何をしていたか…… なんて決まってるじゃない。 なんでそんな事を訊くの? 朝礼に出るのがダルくて屋上にいただけだよ」 「君の制服のシャツがね…… 殆どボタンが無かったから……」  そう言って、紙袋の中から制服の白いシャツを出して見せた。

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