16 / 330
―― 日常の快楽(16)
カーテンの向こうから聞こえてきた声に、ピンと張り詰めていた空気がスッと弛む。
「ああ、もう大丈夫みたいですよ」
そう言って藤野先生は、僕に優しく微笑みかけながら、カーテンに手をかけて開いた。
シャっと、カーテンを開ける音と共に、窓から入る陽射しが閉ざされていた空間を一瞬のうちに明るく照らす。
「あら、もう起き上がって大丈夫だった? フラフラしない?」
入ってきた養護教諭の水野先生が、僕の顔を覗き込んだ。
「…… 大丈夫です」
背を向けてネクタイを締めて制服を整える僕に、水野先生が「ちゃんと朝ご飯食べてきた?」と、聞いてくるのには、適当に頷いておいた。
「鈴宮くんは、保健室の常連だから……」と、担任の藤野と話しているのを他人事のように聞き流しながら、僕はブレザーを着て身支度をする。
遠くから、バタバタと誰かが廊下を走る音が聞こえてくる。
きっと凌だ……。
と、思うのと同時に、保健室のドアがバタンと、乱暴に開けられる音がした。
「速水くん、いつも言ってるでしょう? ドアは静かに開けなさい」
嗜める水野先生を無視して、凌はツカツカと僕の所まで歩いてくると、僕が持ちかけた鞄を奪うようにして取り上げる。
「俺が持つ」
ぶっきらぼうにそう言いながらも、顔を覗き込んでくる凌に、「大丈夫だよ」と、笑いかけると、硬かった凌の顔が少しホッと緩んだ表情に変わる。
「…… じゃあ僕、帰ります」
軽く頭を下げて、先生達の前を通り過ぎようすると、藤野に肘の辺りを強い力で掴まれた。
仕方なく立ち止まって、肩越しに振り向けば、藤野先生は鋭い眼差しを僕に向ける。
「明日は、ちゃんと教室に来るように」
それには答えずに掴まれた腕を振り解いて、僕はもう一度頭を下げた。
「失礼します」
「…… 気を付けて帰りなさい」
それは、優しい言葉だけど、厳しい声音を含んでいる。
僕は無言で、藤野先生の瞳に視線を合わせた。
「おい、いくぞ」
保健室の入口でドアを開けて待っている凌が、早くしろと促すように声をかけて来る。
僕は先生に視線を残しながら踵を返し、入口で待っている凌の横をすり抜けて保健室を出た。
**
凌と二人で、校舎を後にして歩いていると、校門の所で座り込んでる隆司が見えてきた。 ガムでも噛んでるのか、口をモゴモゴさせている。
「ちっ、やっと出て来た。 待ちくたびれたじゃん」
僕達に気付いて、隆司はブツブツ文句を言いながら怠そうに立ち上がった。
ともだちにシェアしよう!