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 ―― 日常の快楽(18)

 ああ、どうしよう…… 嬉しくてどうにかなりそう。  口元が自然に緩んでしまっているのを、自覚しながら、精算機の前にいる凌に向かって叫んだ。 「凌、ありがとう! 此処でいいよ! 僕、一人で大丈夫だから!」 「え? お、おい! 伊織!?」  まだ精算を終えていない凌を残して、僕は改札の外に飛び出して、精算機の前で呆然とする凌を振り向いて、もう一度叫ぶ。 「ごめん! 明日は多分学校休むから!」 「―― 伊織…… !」  凌がまだ何か言ってたみたいだったけど、もう僕は駅の前の横断歩道を走って渡っていた。  じっとしていられなくて、心が逸る。  僕の家は、駅からわりと近い。  横断歩道を渡って小さな路地を入った数メートル先に、斜面に沿って続く、長くて急な石の階段がある。  ずっと先にある女子大の学生が、いつもこの階段を上る時に、『心臓破りの階段』と、嘆いているのをよく耳にするけど、僕はこの階段が好き。  不揃いの幅の階段を、一段飛ばしに上っていると、後ろからそれよりも早いスピードで上ってくる集団に追い越された。  ここをトレーニングコースに使っている部活が多くて、今、後ろから追い越して行った集団は、隣街の大学のネームの入ったウエアを着ている。  彼らが通り過ぎるのを待つ為に、僕は階段の中腹で立ち止まり、振り返った。  高台に位置するこの階段から見下ろす街並み。  小さな川の傍の遊歩道には桜並木が続いていて、僕の通う学校の辺りの風景に似てる。  ずっと向こうの方に、微かに見える海の色が美しい。  いつもなら、その景色に見惚れて、時間の経つのを忘れそうになるのだけれど。 今日は違っていた。  一秒でも早く家に帰りたい。  僕は、大学生達が駆け上って行った後を、追い掛けるように階段を上った。  階段を上り切るとツツジやサツキを隙間に植えた、石垣の上に建つ僕の家が見えてくる。  高い塀の向こうから見えている1本の桜は、僕が小学校に入学した時に記念に植えたもの。  息を切らせて、重い門扉を開いて、玄関までのアプローチの緩い階段を駆け上ったところで、立ち止まって深呼吸。  ドキドキする胸に手を当てて、落ち着けと自分に言い聞かせる。  引き戸に指をかけて、そっと開けた。  家の中から、冷んやりとした空気が、開けた玄関から外へ流れ出て行く。  きっと、家政婦のタキさんが、北側の掃き出し窓を開けて、風を通してるんだ。

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