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—— 愛執(10)
居間に行くと、知らない男の人が父さんとテーブルを挟んで座っていた。 そして、その人は僕に気付くと、父さんよりも先に声を掛けてきた。
「…… 君が……、伊織…… くん…… なのか」
知らない人にいきなり名前を呼ばれて、少し戸惑う。
「こちらに来て座りなさい」
父さんに静かな声で促されて、僕はその人に会釈をしてから、父さんの隣に腰を降ろした。
誰なんだろう…… すごく不躾に僕のことを見ているこの人は。
視線が纏わり付いて、あまり気分の良いものではない。 居心地が悪くて、僕はその人と、目が合わないように俯いた。
だけど……、
「—— 君は、沙織によく似ているね」
突然…… そう…… あまりにも突然に投げられた言葉に驚いて僕は顔を上げた。
僕に向けられている瞳と、視線が絡む。
(—— どうして…… 母さんの名前を……)
母さんの知り合いなんだろうか。 だとしても、どうして僕に会いたいなんて言ったんだろう?
驚きに目を瞬かせている僕に、その人はにっこりと笑いかけ、目の前に名刺を差し出した。
父さんの前にも、同じ名刺が置いてある。
その人は、差し出された名刺を受け取りもせず、ただ見上げているばかりの僕に苦笑すると、テーブルの上に名刺を静かに置いてまた腰を降ろした。
僕はその名刺に、視線を落とす。
(どこかの…… 会社の社長さん?)
だけど…… どうして僕になんか名刺を渡すんだろう。
疑問ばかりが頭の中に湧いてきて、考えが纏まらなかった。
だけど、その人が次に口にした言葉に驚いて、また顔を上げる。
「伊織くん…… 僕が君の本当の父親なんだよ」
(—— え?)
その人は、目を細め、優しく微笑んで僕を見つめる。
僕はどうすれば良いのか、どう応えれば良いのか分からずに、隣に座っている父さんと、その人の顔を交互に見た。
父さんは、ただ黙って腕組みをして、目を閉じている。
「あ、あの…… どういう意味ですか」
悪い冗談だ。 —— そうとしか思えなかった。
大人二人で、僕のことをからかっているんだろうか。 —— だけど、何の為に?
「僕はね、沙織が…… 君のお母さんが妊娠していることを知らなかったんだよ」
何を言ってるの? この人。
どうして父さんは、何も言ってくれないの?
「僕は、沙織と出逢った時には、もう他の人と結婚していたのだけれど、でも一目で沙織を愛してしまった」
何の事を話しているのか、誰の話をしているのか、全く理解できない。
「僕達は、本気で愛し合っていたんだよ。 そして沙織は君を身ごもった……」
その人の言葉は、耳を素通りしていくだけで、全然頭に入ってこなくて、心にも響かない。
—— 本当に悪い冗談にしか思えなくて。
だからその時の僕は、その人の話を全部は訊いていなかったと思う。
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