41 / 330

 —— 愛執(20)

「―― 痛っ! 何すんだ! ガキっ!」  菜摘ちゃんを助けるまで、絶対に放すもんか。 シャツから出ている腕に、噛みちぎってやる位のつもりで歯を思いっきり食い込ませた。  僕を振り払おうと、菜摘ちゃんに跨っていた男が腰を浮かした。 その隙間から菜摘ちゃんが這いだして行くのを視界の端で確認する。 「おい、いい加減にしろっ!」  もう一人の男が背後から僕に掴みかかって引き剥がそうとするのを、死に物狂いで踏ん張って、更に男の腕に食らい付く。  口の中に鉄の味が広がった。  菜摘ちゃんが逃げるまでは、力を弛めてやるもんか。 「ざけんなよ!」  だけどいきなり襲った鳩尾の痛みに、息が出来なくなって、その場に蹲ってしまった。  一瞬、何が起きたのか分からなかった。 多分、僕が噛み付いてる男に、膝蹴りを入れられたんだ。  苦しくて、蹲って咳き込んでいると、後ろのもう一人の男に背中を何度も蹴られた。 「伊織くんっ!」  花火の音に掻き消されるような、菜摘ちゃんの小さな悲鳴が聞こえた。  蹴られながら薄く目を開けると、少し離れた場所で、乱れてしまった浴衣を直そうともせずに、菜摘ちゃんが立ち竦んでいるのが見えた。 (―― 早く…… 逃げて……)  声にすることは、出来なかった。 ——苦しくて。 痛くて。 「おい、女が逃げる! 捕まえろ」  僕に腕を噛まれた男が、傷口を押さえながら叫んで、 もう一人の男が、僕を蹴るのを止めて菜摘ちゃんの方を見た。 「駄目ーーっ」  追いかけようと一歩踏み出したその足に、僕は必死でしがみ付いた。 「―― このヤロー! 放せっ!」  しがみ付く僕を振り払おうと、足を左右に振られて、何度も殴られるけど、絶対に離しちゃダメだ。 「伊織くん!」  泣き叫ぶ、菜摘ちゃんの声。  ―― まだそこに居るのか……。 「このアマ! 逃げんじゃねえぞ!」  しがみ付いた足を大きく振られて、僕の身体は宙に浮いて、耐え切れずに手を離してしまった。 だけど、追いすがってまたしがみ付く。 「お前、放せっ!」 「―― お願い、彼女には何もしないで! 僕が何でも言う事聞くからっ!」 「お前に何が出来るっつーんだよ!」  僕は男だから、ただ殴られて蹴られて、大怪我してしまうかもしれないけど、それでも……  菜摘ちゃんが二度と消えない傷を一生背負うことに比べたら、ずっとマシだと思った。  もしもこれで、死んでしまっても……。  そうしたら、父さんと血の繋がりがなかった事とか、父さんに捨てられるかもしれない不安とか、そんな事もどうでもよくなるかもしれない……。 なんて、ぼんやりと考えていた。

ともだちにシェアしよう!