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 ―― 愛執(31)

 バスローブ姿で、まだ髪が少し濡れていて、影を落とした横顔が僕の知っている父さんとは別人に思えた。  空のグラスに父さんは、またブランデーを溢れるくらいに注いでいる。 溢れた液体は、グラスを伝い落ちて、テーブルの上を濡らしていた。 (―― 飲み過ぎだ……)  キャビネットの中から救急箱を見つけて取り出して、天板の上に一旦置いてから、父さんの側に行き、ティッシュを取って濡れたテーブルを拭いていると、突然その手首を掴まれた。 「…… と……さ、」  驚いて顔を見上げる暇もなく、その手を強く引寄せられて、次の瞬間には視界が回り天井が見える。  床に手首を縫い止められて、父さんが体重をかけてきて、覆いかぶさるように唇を重ねてきた。 「―― ッ…… ん…… ぅ…… っ……」  飲んだことのないアルコールの味と、煙草の苦味が咥内に広がる。  咥内に侵入してきたのが父さんの舌だという事が、最初は分からなかった。 初めて味わう感覚に、夢でも見ているのかと疑った。  だって、父さんが、僕にこんな事をするなんて、考えた事もなかった。  驚いて、狭い咥内を逃げ惑う舌は、強引に絡め取られてしまう。 舌の裏側をくすぐるように舐められると、じんわりと身体が熱くなった気がした。 角度を変えるたびに、新たな場所に初めての感覚を植え付けられるようだった。  僕は息をするのも忘れて、ただ、されるがままに茫然と咥内の感覚だけを追っていた。 口端から飲み込みきれない唾液が零れて、顎を伝って首元を濡らしている。  ―― 何故…… どうして……。  そんな言葉が頭の中で渦巻いているだけで、何も答えは出なかった。 ただ…… これは、してはいけないこと。 それだけは、朦朧とする頭でも考える事ができた。  終わらない口づけに、息が吐けなくて苦しくなってくると、途端に心臓の音も早鐘を打ち始めた。  ―― ダメ…… こんな事……。  体重をかけてくる身体を押し返そうと、漸くもがき出した僕の手を、父さんは一纏めにして強く床に押さえつける。  反動で僅かに離れた唇の隙間から、「やめて……」と訴えた声は上手く出せていなかった。

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