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 —— 愛執(32)

「…… そんなに私から逃げたいのか?」  囁くように低い声と共に、熱い息が耳元にかかる。  違う、違う、そうじゃない…… そう言いたいのに。 「ぁ…… は、あっ……、」  舌先で耳の溝をなぞれられて、全身が粟立って、自分の意思に関係なく、勝手に声が漏れてしまう。  唾液の音と舌の熱に、耳の奥まで犯されているような感覚がして、身体の奥深くに生まれた仄かな熱が、徐々に体内を駆け巡り始める。 「…… と、さ…… ん…… こん…… な……っ」  こんな事は、しては駄目。  首筋に下りてきた父さんの舌に、言いたい言葉が遮られ、代わりに熱の籠った甘い吐息が漏れてしまう。 「…… あ…… ぁ…… や……ぁ……」  きっとお酒の所為だ。 そうじゃなければ、父さんが僕にこんな事をする理由が分からない。 そう思っているのに、自分の口から漏れてしまう甘い声が止められなかった。  パジャマのボタンを外していく父さんの手を必死に掴んで止めようとした。 「だ、ダメ……、」  漸く口に出来た言葉も、弱く掠れて消えてしまう。 「…… 他の男に抱かれたのに、私に抱かれるのは嫌か?」  低い声で落とされた言葉に、胸の奥が痛くなる。 「—— あれはっ……、」  あれは、抱かれたなんて、そんなんじゃないのに!  声に出そうとしても、込み上げてくる胸の痛みが邪魔をした。 涙が溢れて、視界が滲む。 「他の男に穢されるくらいなら、私が……、私がお前の身体を穢してやる。」 「——っ、イヤ……やめてーーっ」  残りのボタンを外そうとする父さんの腕に、何度払い退けられても縋り付いて必死に止めた。 「——ッ、そんなに嫌か?!」  縋り付く僕の手は、簡単に引き剥がされて、乱暴に床に押さえ付けられる。  いつも沈着冷静な父さんが、こんな風に声を荒げるなんて、今まで無かったのに。 「それとも……、こんな父親はもう嫌か? 実の父親の所に行きたくなったか?」  —— そんなこと!  そんなこと、これっぽちも思ってないのに。  僕は……、僕の父親は、父さんだけだと思っているのに!  悲しくて、辛くて、心臓がまるでガラスになって、粉々に砕け散ってしまったような気がしていた。 「そんな事は赦さない」  またパジャマのボタンを外そうとする手に必死に縋り付く。  —— お願い、やめて……。  だけどその手は、強い力で引き剥がされ、パジャマの前は左右に引き裂かれた。  パラパラとボタンが床に飛び散る音が、どこか遠くに聞こえる。 その音を聞いた瞬間に、抵抗しようとする動きも、忘れたように止めてしまった。  僕は今、真っ暗な闇の空間にいる…… そんな気がして。  これを絶望と呼ぶのかもしれないと、虚ろな心の中で、そう思っていた。

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