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 ―― 偽り(6)

「おはよう、鈴宮くん」  後ろを振り向かなくても誰だか分かる。 朝っぱらから…… しかもこんな所で…… 僕の今一番の憂鬱の原因。 「身体は、もう大丈夫?」 「……っ、」  不意に肩に置かれた藤野先生の手に、中途半端に高まり始めていた身体が、勝手に反応する。 「…… 本当に? 震えているようだけど」  心配しているように言ってるけど、声が笑ってる。  この先生は、確かに見ていたんだ。 今日も、そして多分…… あの始業式の朝も。  知っているんだ。 僕が、僕達が、毎朝満員電車の中で何をしていたのか、そしてあの日僕が全校朝礼に出ずに屋上にいた訳も。 「…… 何でもありません。 大丈夫です」 「そう? それなら良いけれど」  肩に置かれた先生の手を払い退けたい。 だけど身動きひとつ出来ない今の状況では、それも叶わなかった。  肩がやけに熱い。 ただ手を置かれているだけなのに。そこに意識が集中してしまう。  電車が鉄橋に差し掛かっても、窓の外の景色を見る余裕がなくなっていた。  電車の速度が落ちて、車掌のアナウンスが聞こえてくる。  早く外に出たい。 早くこの男から離れたい。  僕は怖いんだろうか。 この男が何を考えているのか全く分からないから?  いや、違う。僕はただ、勝手に熱くなっていく身体を何とか抑えたいだけ。  だけど電車のドアが開いて、押し出されるように外に出ても、その手は僕の肩を掴んだまま離れない。  足早に歩こうとする僕の耳元に、先生の低い声が届いた。 「トイレにでも寄るつもり?」  言われた意味を理解した途端、顔が熱くなる。 怒りからなのか、羞恥からなのか。 そのどちらでもあるような、ないような。  最初から何もかも見透かされていた事が、悔しかったのかもしれない。 「今からトイレに寄っていたら、遅刻するよ。 授業にはちゃんと出ると約束したよね」 「…… 分かってる。 ちゃんと出るから……」  ―― 手を離して。 と言おうとしたところで、後ろから腕を引かれて立ち止まった。 「おい、その手を離せ」  僕の言いたかった言葉を、代わりに口にしたのは凌だった。  横から腕を伸ばして、僕の肩を掴んでいる先生の手を乱暴に払い退けた。

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