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 ―― 偽り(14)

「……何、が?」  訊くのが怖い。  まさか…… 知ってる筈がない。大丈夫だと思っても、彼の表情が僕に考えたくない事を考えさせる。 「あの祭りの日さ、菜摘ちゃんは泣きじゃくって、伊織くんを助けてしか言わないし……」  思い出したくもないあの夜のことを話し始めた彼を、僕は祈るような気持ちで見つめた。  ―― どうか……あのことを、知られていませんように。 「それで、境内に行ってみたんだけど、もう誰もいなくてさ」  その言葉に僕は、一瞬安堵したけれど……でも、それじゃあなんで? 「だから、あの夜は皆それで安心して家に帰ったんだけど」  ……だけど?  その次に続く言葉を訊きたくないと思った。耳を塞いでここから逃げ出したい。 ――最初に話を訊きたがったのは、僕の方なのに。 「でも……噂が……」 (……噂って?)  とても言いにくそうに、彼は言葉を区切ったまま、次の言葉をなかなか口にしなかった。 「何?」  聞きたくないと思っているのに、それでも僕は彼に次の言葉を促した。  本当は心の中で、『もう、言わないでいい。 知らないままでいい』と繰り返しながら。 「あの夜、神社で暴行事件があったって、噂が流れてて……」 (なんで噂になってるんだろう。 あの夜、あそこで男達に絡まれた事は、神主さんと菜摘ちゃんしか知らない筈だけど……) 「伊織、違うよな? 男達に暴力はふるわれたけど……その……変な事はされてないよな?」 「……変な事って?」 「あの翌日、境内を散歩していた人が、男物の下着を拾ったらしくて……それで……なんか凄い噂が広まってて……」 (……下着……)  確かに……あの夜、神主さんが助けに来てくれた時、僕は慌てて浴衣の乱れは直したけれど……でも、下着が見つからなくて……それで……。 「その……あの夜、最初から最後まで見てた人がいたらしくて」  ―― え?  あの時、ずっと見てた人がいるってこと? …… 助けてくれもせずに? 「……で、でも、噂なんだ。伊織のじゃないよな? そんなの脱がされるわけないよな」  違うだろ? と、彼は少し引きつったように笑いながら言う。だから僕も、苦笑しながら彼に応えた。 「…… うん、僕のじゃないよ。ちょっと殴られたりしたけど、大したことなかったし」  すると、彼は安心したような顔をした。 「そうだよな? んなわけないよな。男が男をなんてあり得ないし。ま、噂だから気にすんなよ」  そう言って、彼は僕の肩をポンポンと叩いて、噂なんてすぐに皆忘れるさと、続ける。  ―― れで皆、よそよそしい態度だったんだろうか。  彼は単純なところがあるから信じてくれたけど、そんなに噂が広まっているなんて知らなかった。  部活に行くと言う彼と別れて、靴を履き替えていると、突然後ろから「伊織くん」と、名前を呼ばれた。  その声に、胸がトクンと跳ねる。  振り向くと、菜摘ちゃんが立っていた。会いたかったけれど、会いたくない……小学校の頃から好きだった人。  この気持ちは自分でもよく分からないけれど……、父さんへの気持ちとは全然違う気がしていた。

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