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―― 偽り(26)
「なによ、そんな言い方しなくてもいいじゃない」
僕の意地悪な言葉に、怒ってそう言ったのは、菜摘ちゃんじゃなくて、菜摘ちゃんと喋っていた前の席の女の子だった。
「いいじゃない、ここで話を訊いてあげたら。 菜摘ちゃんは何も悪くないんだし」
「……でも……」
泣きそうな顔で何か言いかける菜摘ちゃんは、さっきから全然僕の方を見ようとしない。
騒がしかった教室内もいつの間にか静かになって、皆の視線が僕達に集まっていた。こんな状態は、僕にとっても菜摘ちゃんにとっても、都合が悪い。
「菜摘ちゃん、廊下でいいから話を……」 と、もう一度言いかけたところで、菜摘ちゃんの声が被さった。
「いいよここで。 話って何?」
「……ホントに話してもいいの?」
いいと言われても、ここじゃ話し難いのは僕も同じで、その先を言い淀んでしまう。
「…… 私が…… 悪いんだよね?」
僕がなかなか話を切り出せないでいると、菜摘ちゃんが急に涙声でそう言った。
「……え?」
予想していなかったその言葉に、僕はどう返していいか分からない。
「昨日、伊織くんが学校の帰りにあの男の車に乗って行ってしまったことを言いふらしたの、私だから怒ってるんでしょ? …… ご…… めんね。 こんなに噂になるなんて思ってなくて」
そこまで言って、菜摘ちゃんは本格的に泣き出した。次から次へと溢れ出る涙を、菜摘ちゃんの前の席の女の子が、慌ててハンカチで拭ってあげている。
「伊織くん、もういいでしょ? 昨日、私も見てたのよ。 だから菜摘ちゃんに、あの男は誰なのかって訊いて、他の人に言っちゃったのは私だから。 菜摘ちゃんは悪くないの」
「……ごめんね。伊織くん」
泣きながら謝る菜摘ちゃんの声は、すごく震えていて……。
「違うんだ」
別に、謝ってほしい訳じゃなくて。 僕はただ、あの夜の事を訊きたくて。 あの夜、菜摘ちゃんがどこまで見ていたのか……。 あの夜のことを、誰かに話したのか。 ただそれだけなのに……。
「――だけど結局、祭りの時に犯られた男の車に、ホイホイ乗ってったんだろ?」
「!?」
後ろから誰かが言った言葉に驚いて振り向いたけど、クラス中の皆がこちらに注目していて、誰が言ったのか全く分からなかった。
――そっか……もう皆、知ってるんだ。
今更あの時、菜摘ちゃんがずっと見ていたのかどうかなんて、聞いても聞かなくても、皆が知ってるんなら、もう関係ないんじゃないかって思った。
誰が噂を流したかなんて、本当はどうでもいいことなんじゃないかって。
――だって…… 噂は本当の事なんだもの。
しかも僕は……昨日、最初は仕方なく男の車に乗ったけど……。そして今日もまた、あの男に逢いに行こうとしている。
心では、行っちゃ駄目だと分かっているのに。
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