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 ―― 偽り(34)

 あんなに嫌だったはずの煙草臭いキスも、繰り返しているうちに慣らされてしまう。  深いキスを交わしながら身体を繋げれば、その行為がまるで恋人同士のそれのように思えた。  自分のことしか考えていないような乱暴なセックスだったのに、僕の身体を撫でる指を、抱きしめている腕を、優しいと思ってしまう。  あんなに憎んでいた男を愛して、愛されてるような錯覚をしてしまう。  男も僕も、ただ欲求の吐け口として、お互いの身体を利用しているだけなのに。  父さんが帰って来ない家が寂しくて、学校にも居場所を失くしてしまった僕にとって、今はここだけが、独りじゃないと思える場所だったのかもしれない。  ** 「伊織、送ってくから、早く服着ろよ」  すっかり身支度をして、出かけようとしている男が、なかなかベッドから動こうとしない僕を急かす。 「……ねえ、今夜、泊まっちゃダメかな」  ――寂しいんだ。 「え? 何言ってんだよ。そんなことしたらお手伝いさんが心配するんじゃねえの」 「タキさんなら、遅くなるって電話しておけば、時間になったら帰るから大丈夫」  ――独りぼっちの夜が寂しくて仕方ないんだ。  男は、ちょっと考えて、首を横に振る。 「駄目だ。今夜はさっきの女のビデオ編集しておかないといけないし」 「僕、邪魔しないよ」 「その後、仕事で出かけなきゃいけないんだよ! だから駄目」 「また女の子連れ込んで撮影するんだ?」  僕がそう言うと、男は少し驚いたような表情をした。 「お前……もしかして、妬いてんの?」  言われて顔が熱くなるのを感じた。 「……妬いてなんかない」  赤くなった顔を見られたくなくて、僕は男に背を向けて制服のシャツに袖を通して、ボタンを止めていく。 「お前、バカか」  不意に後ろから、抱きすくめられた。 「いくら俺でも、お前に吸い取られてもう空っぽだって」 「離してよ。ボタンがとめれない」  男が僕のことを、どう思っていたのかなんて分からないし、僕も男のことを、どう思っていたのか、自分でも分からない。  ただこの時は、男が僕以外の誰かと夜一緒に眠るなんて想像するだけで、何故か悲しかったような気がする。  ** 「お前、いつも俺んちに来る時間早いけど、ちゃんと学校行ってんの?」  家に送ってもらう途中、車の中で、男がそんなことを訊いてきた。  男にとっては、どうでも良い事には違いなくて、ただ意味もなく訊いてみただけなんだろう。 「行ってるけど、アンタんちに行く日は早退する事が多いよ」 「中学くらいちゃんと行っておけよ。友達だっているんだろ?」 「……うん」  友達だなんて言葉、男の口から出てくるとは思ってもいなかった。 「アンタは、友達いるの?」  僕の問いかけに、男は鼻で笑う。  ―― 大人になったら、周りは敵ばかりだよ。  煙草の煙を吐き出す為に薄く開けた窓から外の喧騒が流れこんで、男の声はよく聞き取れなかった。

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