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 —— 偽り(38)

 別の場所にも捜索差押許可状があって、男は、僕とは別の車に乗せられて行ってしまった。  もうこれで、きっと会えなくなるだろうに、最後は酷く呆気なかった。  男が乗った車が先に細い路地を出て行ってから、僕も警察の車に乗せられた。パトカーなんかじゃなくて、普通の黒いワンボックスカーだった。  ***  警察署に着いてからも色々聞かれたけど、僕は殆ど何も喋らなかった。どこまで言っていいのか、分からなかったから。  それは、別に男を庇ってそうした訳じゃないのだけど、刑事はしきりに、男がどんなに悪い人間かという事を僕に話す。 「だから、義理立てて庇ったりしなくてもいいんだよ」  と、根気良く僕に話し掛けていた。  そうこうしている内に別の刑事が、男が逮捕された事を伝えに来た。わいせつ図画販売目的所持の証拠が出てきたんだと、言っていた。 「君はあの男に不良に絡まれているところを助けてもらったと言ってたけど、場所は何処だったんだい?」 「……忘れました」  そんなやり取りが続いて、刑事が大きな溜息を吐いた時、不意に後ろから「伊織」と、呼ぶ声が身体の芯に伝わるように響いて心臓が跳ねた。 「……父さん……なんで……」  振り向くと、1ヶ月も連絡がつかなかった父さんが、僕の学校の担任と一緒に立っていた。  父さんは無言で、コツコツと足音を響かせながら近付いてくる。そして目の前に立った父さんを見上げる暇もなく、振り上げた手にいきなり頬を強くぶたれた。 「鈴宮さん!」  驚いた刑事と担任が、僕と父さんの間に割って入って止めてくれなければ、再度振り翳した父さんの手は、また僕の頬を打っただろう。  打たれた頬はじんじんとして、押さえた掌が凄く熱い。  —— 父さんが帰ってきてくれた。  ただそれだけで打たれた頬の熱ささえ、嬉しく思ってしまう自分に気付いた。  僕には父さんしかいないのに、どうして待てなかったんだろう。 「鈴宮さん、伊織くんは何も知らなかったみたいですし、被害にも遭ってないみたいなので、怒らないであげて下さい」  そんな刑事の言葉も、もう僕の耳には届いていなかった。  警察署を出て駐車場に置いてある車まで、僕の手首をきつく握り締めて歩いてくれた。その掌からは、怒りと哀しみと優しさを感じる。  それだけで、父さんも僕のことを愛してくれてるんだと思えて、嬉しかったんだ。

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