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―― 背徳(4)
「俺は、愛してると何度も言った」
――愛してる……?
「そんなの、言うだけなら僕だって言えるよ」
「伊織っ」
その先を言うなとでも言いたげに怒気を帯びた声が僕の声に被る。 だけど僕は凌から目を逸らさずに言葉を続けた。
「愛してるよ、凌のことを愛してる。誰よりも愛してる。どう?満足した?」
言った瞬間、頬に焼けるような痛みが走った。
怒りと哀しみが入り混じったように、凌は眉間に皺を寄せて僕を睨みつけている。 わなわなと震えている右手を胸の辺りで握り締めていた。
凌に頬を平手打ちされたんだ……と分かって、僕は自分のぶたれた頬に手を当ててみた。
(――熱い……)
掌に感じる熱で、凌が本気で怒ってるということくらいは分かる。
だけど……
「どうして怒るの? 最初から僕達の間には『欲』しかなかったじゃない」
『ヤりたい』っていう、その欲求だけ。
「お前が言ったんじゃないか。この身体を愛してみせろと」
「確かに言ったよ。でもそれは凌が居ないとダメだと思うくらい、愛してみせてと言ったんだよ」
「だから、何度も愛してると言って、お前の言う通りに抱いてやったじゃないか」
――抱いてやった……?
「随分偉そうだけど、凌じゃ全然満たされない。 全然足りないんだ」
――セックスするだけなら、凌じゃなくても誰とでもできるのに。
「ちょっと寝たくらいで恋人面とか笑わせないでよ」
それはきっと、凌の自尊心を傷つける言ってはいけない最後の言葉だったのかもしれない。
僕を睨み付けていた凌の瞳から、哀しみの色が完全に消えて表情が変わるのを感じた。 それは多分、怒りと言うより憎しみに近い。
掴まれた手首が痛い。
でも、心は痛くなんてならない。
「来いよ、俺がどれだけ本気だったか教えてやる。 お前が納得するまでな」
凌は僕の手首を強い力で掴んだまま、駅方面へ歩き始める。
「痛いよ、放して」
訴える僕の言葉を完全に無視して、凌はただ前を見据えていた。
桜並木の石畳の道を抜けて、横断歩道を渡って駅のコンコースへと入っていく。
駅の改札の方へは向かわずに、地下への階段を降りていく凌に「何処へ行く気?」と、問いかけても返事は返ってこない。
ただ、凌に掴まれた手首がジンジンと熱を帯びてきて熱い。
掴んでいる手の熱さから、凌の怒りが伝わってくるようだった。
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