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―― 背徳(9)
閑散とした地下フロアの階段を駆け上っていくと、中腹を過ぎた辺りから人の行き来する喧騒が段々と聞こえてくる。
1階まで上りきると、外からの明るい光と忙しない日常の光景が視界に飛び込んできた。 それが眩しく感じて、目眩のように頭がくらくらする。
集団で歩いている同じ高校の制服の生徒達。 コンコースで待ち合わせをしている人達。 人の話し声や、物音に混じって時々聞こえる誰かの笑い声。
自分には関係のない明るい世界。
そう思うと、すぐ側にいるのに段々と周りの喧噪が遠ざかっていくような気がする。 まるで見えない薄い壁で隔たれたこちら側を、一人で歩いているような気分になっていた。
―― 早く帰りたい。それだけしか考えていなくて、周りが見えていなかった。。
定期を自動改札機に入れようとした瞬間、誰かが同時に同じ場所に入れようとして手が触れる。
「あ、すみませ……」
そう言いかけた男の声と同時に、遠のいていた周りの喧噪が急に大きく耳に入ってきて、はっと相手の顔を見上げた。
「……なんだ、鈴宮くんじゃないか……」
声の主は、いつも何かと関わろうとしてくる鬱陶しい担任だった。
「……」
今は、特に関わりたくない。
そう思って、無言で定期を自動改札機に入れようとする僕の腕を、担任は掴んで引き止める。
(――早く行かないと凌に追いつかれてしまうのに)
後ろを見遣れば、遠くに地下から上がってきた凌の姿が見えた。
「鈴宮くん、ネクタイはどうした」
さっきトイレで手首を縛られたネクタイは、無造作にブレザーの胸ポケットに押し込んでいた。
「それにシャツのボタンが、また……」
先生は、ブレザーの襟元を掴んで中を覗き込む。
「なんでもありません」
「……何でもないこと、ないだろう?」
そうしている間にも、凌がどんどん近付いてくるのが見えて、咄嗟に先生の影に身を隠した。
「どうしたんだ? 気分でも悪い?」
「……いえ……」と、言いかけて、僕は言葉を止めた。
このまま先生の影に隠れていたら、凌は気付かずに通り過ぎるだろうか?
いや、それはきっと無理だ。改札機の前で先生が立っていたら、それだけで目立ってしまう。
だけど……
「……先生、僕……」
でも逆に先生と一緒にいる事で、凌から逃げることもできるかもしれない。
今はどうしても束縛したがる凌と距離を置きたいと思っていた。
目の前の先生の胸にコトンと額をつけて、軽く寄り掛かってみる。
「鈴宮くん? どうした、やっぱり気分悪いんじゃないのか」
心配そうに訊いてくる声に、僕は心の中でほくそ笑んでいた。
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