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―― 背徳(14)
「……古典の先生なのに?」
「そう、悪い?」
「……別に」
そう、別に美術が好きな古典教師がいたって別に不思議じゃない。だけど僕には全く関係のない話。
「話、それだけなら……」
と、言って今度こそ立ち上がると、手を掴まれてくいっと引かれる。
一見穏やかそうだけど、強い意思を孕んだ眼差しが真っ直ぐに見つめてくる。
「離してください」
振り解こうと半歩後退って腕を引くと、握った手をまたくいっと引かれて、距離が縮まる。
「……君がその気になるのを待ってるからね。 いつでもおいで」
視線を合わせたままそう言うと、先生は漸く僕の手を離した。
僕は無言で鞄を肩に掛け直し、先生を見ずに踵を返し、ゆっくりと歩き始めた。
(……鬱陶しい)
先生も凌も……。
殆どの人が僕と関わりたくないと思ってるはずなのに、時々こういう類の人間がいる。
僕の意思に反して、関わってくる何もかもから逃げ出したくなってしまう。
改札口へと歩く速度が、無意識に速くなっていた。
僕なんかに関わって、何が楽しいんだろう。僕の中は空っぽで何も無いのに。
そうやって軽い気持ちで関わってきて、結局最後は簡単に裏切るのに。
これから先の事なんて僕には何も見えていない。僕には未来なんてない。今、この時を、時間が過ぎていくのを、待っているだけ。
ただ、ただ、欲しいのは……、愛しい人との熱い肌のふれあい。愛されてるという実感だけ。
(……父さん)
どうして帰ってきてくれないの。
どうして僕から逃げるの。
どうして……。
***
家に帰るとタキさんが「おかえりなさい」と、台所から声をかけてくれる。 僕は、「ただいま」とだけ言って、真っ直ぐに父さんの寝室へ行く。
鞄を床に投げ、着ているものを全部脱ぎ捨てて、父さんのベッドにそっと横たわる。
「……う……っ」
もう殆ど残っていない父さんの匂いを、シーツに顔を埋めて探しているうちに、胸が苦しくなって涙が溢れた。
絶対帰ってくると、分かっていても、逢いたい気持ちは日々募るばかり。
左手でシーツを掴み、右手を自分の肌に滑らせて、目を閉じる。
「……ふ……」
瞼の裏に映し出すのは、愛しい人の姿。
僕は、父さんに抱かれることでしか心満たされない。
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