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 ―― 背徳(29)

 そんなに強い力で押さえ付けられた訳じゃなかったけど、一瞬背筋に冷たいものが走って、身動きすることも忘れた。  僕を見下ろす瞳には、確かに情欲の光が見える。そんな眼をする慎矢を、僕は知らない。 「……何のつもり?」  その瞳を見つめ返して、なるべく冷静さを装おうとした。 「昨日、なんで俺にキスをした?」  慎矢は、もう目を逸らさない。欲に濡れた瞳が僕を射抜くように見つめている。 「なんでって……ちょっと試しにやってみただけじゃない。ただの……」 「俺……今日訊いたんだ」  言葉を最後まで言い終わらないうちに、慎矢の声が重なった。 「……何を?」  訊かなくても、大体の予想はつくけど。 「……伊織と同じ中学出身だった奴に……お前が……」  そこまで言っておいて、慎矢は言いにくそうに口籠り、その先をなかなか言おうとしない。 「僕が?」  中学の頃から僕のことを知っている誰かに聞かされた内容なんて、噂に尾ひれが付いてさぞかし面白かっただろう。  それで慎矢が何をしたいのか分かってしまって、何故だか胸の奥が痛い。 「伊織は、速水さん以外にも……その誰とでもそういう事をしているって……」 「……そういう事って、セックス?」  僕の返した言葉に、慎矢の喉がコクリと鳴った。 「慎矢は、したいの? 僕と?」  問いかけに、返事はなかなか返ってこない。 「……いいよ、ヤりたいなら」  ほら……友達なんて言葉は、やっぱり上辺だけの薄っぺらいもの。ちょっとつつけば壊れてしまう。  その線を超えてしまえば、慎矢の言うところの友達とは、違う関係になるのに。  少しのことで、簡単に崩れてしまう関係を、『友達』って呼ぶんだよね?  躊躇した様子で、僕を見下ろす慎矢の首に、腕を絡めて引き寄せてあげる。 「……昨日の続き、したいんでしょう?」  そう囁いて、慎矢の情欲に濡れた瞳を見つめ返す。  ゆっくりと慎矢が距離を縮めて、唇が触れ合う位置で、一旦止まる。  慎矢の乱れた息が、唇にかかる。  合わさった慎矢の胸の鼓動が、僕の心臓を締め付けた。  どうしてこんなに悲しい気持ちになるんだろう。  僕は、慎矢に、本当に何を期待していたんだろう。  誰かに何かを期待するなんて、可笑し過ぎる。  でも僕が慎矢に何を求めていたのか、この時少しだけ分かった気がする。 それはきっと、僕が疾うの昔に忘れてしまったもの。  まだ僕にそんな気持ちがあったなんて、笑ってしまいそう。 他人なんて信じてはいけないと、嫌と言うほど分かっていた筈なのに。

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