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―― 背徳(38)
呆然と立ち尽くす慎矢の背中をそっと押して部屋から出るように促すと、慎矢はまるで意思を持たない操り人形のように足を動かして廊下に出ていく。
階段を下りかけたところで一旦足を止めて、ゆっくりと肩越しに振り返り、虚ろな眼差しを僕に向けた。
「バイバイ慎矢、もう外は暗いから気を付けてね」
そう声をかけると、慎矢の唇が微かに動いて何か言ったように見えたけど、その声は小さ過ぎて僕の耳には届かなかった。
そのまま静かに階段を下りていく慎矢に、僕は「慎矢」と、もう一度声をかける。
階段の途中で、また足を止めて、慎矢は僕を見上げた。
「明日、僕と同じ電車に乗る?」
慎矢は何も言わずに僕から目を逸らし、また階段を下り始めた。
慎矢が階段を下りて姿が見えなくなるまで、僕は2階の下り口の手すりから身を乗り出して、その後ろ姿を見送っていた。
暫くして、階下から玄関の引き戸が閉まる音が聞こえてくる。
別にいつもと変わらない、カラカラと戸の閉まる音が、まるで慎矢の心が軋む音のような気がして……
―― 胸が痛い……。
どうして、こんなに胸が締め付けられるんだろう。
だって、これは慎矢が自分で望んだことじゃないか。
屋上での光景を見て、僕の噂を聞いて、それで家にまでやってきて、本当に邪まな気持ちは無かったと言える?
口では違うと言っても……言ってることと、やってる事が全然違うじゃないか。
僕へ向ける情欲に満ちた眼差しが、何より慎矢の心の中を表していた。
だから僕が、後悔することなんて、何も無いはずなのに。―― 涙が溢れて止まらない。
本当に……今日の僕はどうかしてる。
昨日からずっと降り続いている雨は、もうすぐ5月になるというのに、冷えた空気を部屋の中まで運んでくる。
その夜は、シャワーで身体を温めても、布団にくるまっても、寒くて寒くて。 ―― 寂しくて。
自分の身体を抱きしめながら、僕は1階の父さんの寝室のベッドに潜り込んだ。
もう父さんの匂いは全く探せないくらい、残っていないのに。
それでも父さんのベッドで、枕に顔を埋めてその匂いを思い出すと、少しだけ心が落ち着いた。
ゆっくりと眠りが僕を包んで、夢の中へといざなう。
夢の中だけは、毎晩父さんの腕の中に包まれているような気がしていた。
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