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 ―― 陽炎(2)

 あの日……温室で軽く触れるだけのキスをして、優しく抱きしめられて、そこがすごく心地よい場所だと感じたけれど。  あれから、こうして二人きりで家の中にいても、慎矢から僕に触れてくることは無かった。  そして僕も……何故だろう、そんな事忘れていたんだ。  他愛もないことを話したり、普段はあまり観ないテレビを一緒に見たり。  寝る時は、ちゃんとパジャマ着ろだとか、風呂から出たらちゃんと髪を乾かせだとか、何かと、さっきみたいに口煩く言ってくる慎矢に、文句を言い返したりしても、なぜか険悪なムードにはなったりしない。  何か特別なことをしているわけでもないのに、時間が経つのがとても早く感じていたのは、慎矢と過ごす空間が、時間が、楽しいからだったんだろうかと、今、少しだけそう思ったりした。 「どう? うまい?」  作ってくれた味噌汁のお椀に口を付けると、慎矢は答えを急かすように僕に顔を近付けて訊いてくる。  今日で、慎矢が泊まりに来てから二回目の朝。  あまり料理なんて普段はしないらしい慎矢が、昨日作ってくれた味噌汁は、具がまだ硬かった。  僕は、舌があまり味を感じなくなっているから、味噌汁の香りと、具の硬さくらいしか伝えることが出来なくて。  きっと慎矢をがっかりさせたに違いなかったのに。それでも、今日も味噌汁を作ってくれた。  僕の顔を覗き込んでくる慎矢は、心配そうだけど、どこか自信ありげな瞳をしてる。  今日は、大根とわかめに、しゃきしゃきとしたネギのシンプルな味噌汁。  慎矢と至近距離で目が合ったまま、汁椀を少し傾けて、ひとくち口内へ流し込む。  いつもタキさんが作ってくれるのと同じ味噌の香りが鼻を掠めて、ふわりと味噌の旨味が口の中でひろがった。  ――こんな事って……  すぐには信じられなかった……。こんなに味を感じることができるなんて久しぶりで。 「……どう? どう?」  喉を鳴らして味噌汁を飲み込んだ僕に、慎矢が更に顔を近付けて訊いてくる。  僕は慎矢の質問には答えずに、もうひとくち汁を飲み込み、いちょう切りの大根を箸で摘まんで口の中に入れた。  蕩けるように柔らかくなった大根は、味がしっかり染み込んでいる。 「なあ、うまいか?」  慎矢が心配そうに、もう一度僕に訊いてくる。 「……塩っ辛いよ」 「え? そう? そうかなあ」  慎矢はそう言いながらキッチンに戻り、残りの味噌汁を汁椀に注いで、自分も飲んでみている。 「んー、そうか……ちょっと塩辛いかもな……」  キッチンに立っている慎矢の声を聞きながら、僕はゆっくりと味噌汁を啜り、舌の上で味わった。  確かに塩辛い……けど、すごく美味しいよ。  すごく嬉しかった。  そして、少しだけ寂しくなる。  その味噌汁の味は、中学1年のあの夏休みに、父さんと初めて一緒に作った味噌汁と同じ味だった。

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