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 ―― 陽炎(3)

 父さんがまた帰って来なくなって、もうすぐ1ヶ月になる。  逢えないのが寂しくて、あの腕に抱きしめられて、包まれたくて、ひとつに溶け合いたくて。  あんなに毎日、父さんのことばかり考えていたのに……。慎矢が泊まりに来てからは、ほんの僅かな間だけど、その事も忘れていた。 「なあ、伊織って、何も出来ないと思ってたけど、結構家事も出来るんだな」 「……え?」  父さんのことを不意に思い出して、食器を洗う手が止まっていた僕に、慎矢が食卓の上を拭きながら声をかけてきた。 「……うん、少しくらいなら……。タキさんが居ない時は父さんと二人でやってたから」  父さんと二人だけで過ごした、あの夏休み。ずっと、一緒に居る事ができると思っていたのに。 「へえ、お父さんも家事とかやってくれるんだ。そう言えば……伊織のお父さんって会ったことないけど、仕事でどっか遠くに行ってるのか?」 「……うん」  慎矢は何も知らないんだ。だから遠慮なしに色々訊いてくる。  僕がその事には触れて欲しくないなんて、知らないんだから仕方ないと分かっているけれど。 「伊織のお父さんって、どんな人? 似てるの? 伊織が大人になった感じ?」  慎矢は知らないんだから……。  父さんと僕が、血の繋がりがないなんて。  だから似てるわけないなんて知らないんだから、仕方ないって分かってる。  だけど……父さんのことを訊かれれば訊かれる程、胸の奥に痛みを感じて……。  父さんのことを思い出せば、あの感情が込み上げてくる。  いつか見放されるんじゃないかって。いつか本当の父親のところに行かされるんじゃないかって。  どうしようもなく切なくて、逢いたくて……愛されたくて……堪らなくなる。だって身体を繋げている時だけは、僕を必要としてくれてるって思えるから。 「おい、伊織? 訊いてる?」 「――っ……」  不意に慎矢の声が間近に聞こえて、その手が肩に触れただけなのに、大袈裟過ぎるくらいに身体がビクンと震えた。 「……どうした?」  慎矢は、僕の肩に手を置いたまま、もう片方の腕を伸ばして、出しっ放しの水道の水を止める。  肩に触れた慎矢の手が熱いのか、僕の肩が熱いのか。  触れられたところが熱を持って、そこからじわじわと広がっていく感じに顔が熱くなる。  身体中を駆け巡るあの感覚を思い出してしまって。 「……なんでもない」  そんなことを思い出しているなんて気付かれたくなくて、濡れた手をタオルで拭いて、逃げるようにキッチンから出ようとする僕に、慎矢の声が追いかけてくる。 「なんでもないって事ないだろ? おいっ、どうしたんだよ?」 「なんでもないってば!」  慎矢の言葉を振り切るように、僕は振り返らずにキッチンを出ると、二階への階段を駆け上った。

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