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 ―― 陽炎(15)

 先生が指差した引き出しの中にあるものは、僕が今までしてきたことの証。もしもそれを慎矢が見たら、今度こそ軽蔑されるかもしれない。  でもきっと、そうなっても仕方ないんだと思う。 自業自得だから。  だけど……先生に脅迫まがいの事を言われて、それで流されてしまいたくなんかない。  だって、それこそ慎矢を裏切ってしまう。もう、こんなことはしないと、約束したんだから。 「なんだい? その反抗的な目は」 「写真くらい、見せてもいいよ。そんな事くらいで、もうアンタの言い成りになんてならない」  快楽を手に入れたくて、先生の言い成りになったフリをしていただけなのだから。  今までは、心の隙間を埋めることができるのなら誰でも良かった。 「困った子だね……。そうだ、じゃあこうしよう……」  先生は、指で眼鏡を押し上げて、何かを思い付いたように口角を上げる。 「君が正直にならないのなら、今度、大谷を呼んで訊いてみようかな」  薬なら、他にも色々あるからね。 と、手に持った錠剤のシートをヒラヒラと見せ付ける。 「卑怯だ、慎矢は何も関係ない」 「へえ、そんなに彼のことが大事なんだ? なんだか君らしくないね」  今まで他人に深く関わらず、他人のことなんて気にも留めなかったのにねと、先生は距離をぐっと縮めて、興味深げに僕を見下ろした。 「大谷を堕とす手段なら、薬を使う以外にも色々あるんだよ」  耳元で低い声で囁かれて、さっと血の気が引くような感覚が全身を襲う。 この人なら……この冷酷な先生なら、どんな事でもやり兼ねないと思うから。  他人の痛みも苦しみも、何とも思っていないこの人なら。それが数学教師、佐々木一哉(ささき かずや)の本当の顔だ。 「ほら、言うこと聞けるよね?」  そう言って、僕の手のひらの上に、シートから押し出した錠剤を2粒落とした。 「さあ、飲んで」  先生に詰め寄られ、後ろには鍵の掛かったドア。身動きも取れずに、ただ手のひらに置かれた錠剤を見つめている僕に、先生は追い討ちを掛けるように言葉を続けた。 「大谷が、どうなってもいいなら、飲まなくてもいいけど」  言葉に追い詰められて、焦りがじわじわと押し寄せてくる。 どうしようもなくて、手のひらを唇に押し当てて、僕はそれを口に入れた。  その瞬間先生の嘲笑う声が部屋に響く。  残酷な笑みを浮かべながら、先生はペットボトルを僕の目の前に差し出した。 「水、要らないのか?」  ほら、と目の前でペットボトルが揺らされて、チャプチャプと水の音が鳴る。 仕方なくそれを受け取り、飲み口に唇をつけ、口内へ水を流し込んだ。  少し大き目の錠剤は、一口では喉に引っかかる感じがして、もう一口水を流し込む。 「……っん」  2粒とも飲み込んだのを確認すると、先生は優しく僕の頭を撫でた。 「良い子だね」  これは罰なんだろうか? 今までしてきたことの、罪。  それとも……これは僕が望んでいた事? 「おいで、伊織」  僕は、自分から差し伸べられた先生の手を取ったんだ。

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