169 / 330
―― 陽炎(21)
ああ……そうか。
先生も、僕と同じように……、
想いの届かない誰かに心が囚われて、離れることも、忘れることも出来ずにいるのかもしれない。
自分が今、何をしているのかも分からなくなる程の快楽に呑まれながら、いつも最後にはそう気付く。
意識が遠のいていく淵で見えたことは、いつも目が醒めると、夢か現実が分からないのだけど。
***
「…… 起きなさい」
「…… ん」
先生の声が夢の中で微かに聞こえて、意識が呼び戻される。 重い瞼を開けると、部屋の中はデスクを照らす蛍光灯の灯りだけで、薄暗い。
カーテンの閉まっている窓の外は、もうすっかり暗くなっているようだ。
――今、何時だろう……。
ソファーの上で気怠い身体を起こすと、全部脱ぎ捨てた筈の制服を綺麗に着ている。
ベタベタだった身体も顔も、すっきりしていた。
先生は、丁寧過ぎるくらい、いつも後処理もキチンとする。
それは、生徒との関係を誰かに気付かれないようにする為だと、人形のように無表情な顔で、前に僕に言ったことがある。
「……帰ります」
身体が重いのを自覚しながら、足を床に付けて、立ち上がろうとした。
だけど、力が入らずに、そのまま膝から床に崩れ落ちる僕の身体を、先生がふわりと抱き上げた。
「……っ?」
「まだ怠いんだろう。 車で送っていってやる」
そう言って、電気を消して、僕を抱いたまま廊下に出ようとする。
「――ま、待って、先生、降ろして……」
「心配しなくて良い。もう校内には誰も残っていない」
先生の言う通り、非常灯の灯りだけで、廊下も薄暗く、窓の外はすっかり夜の帳が下りている。
「このまま駐車場に行っても、誰にも見られることも ないだろう」
(そっか……。もう、部活もとっくに終わってるんだな)
なんて、今更慎矢の事が頭を過ぎった
先生は、もう眼鏡を掛けて、冷たい眼差しで、いつもの先生に戻っている。
だけど、僕を抱き抱えている腕は、力強くて優しくて…… どこか、父さんのようで…… 安心する。
まだ頭がボーっとしていて、視界もなんだか霞がかったようにはっきりしない。
首に腕を回して掴まって、先生の肩越しに、歩いて来た方向へ視線を巡らせると、ずっと向こうの角に、何かがチラリと動いたように見えた。
「……あ……」
「どうした?」
白い影……制服のシャツのような。
「……なんでもない」
こんなに暗い学校に、遅くまで一人で残っている生徒なんている筈ないし、きっと気の所為だと思った。
ともだちにシェアしよう!