172 / 330

 ―― 陽炎(24)

 ***** 「どうした? なんか顔色悪いぞ、伊織」 「……別に……なんでもない」  昼休み、数学準備室から戻ってきた僕を見て、慎矢は心配そうに顔を覗き込んでくる。 「佐々木先生、何の用だったんだ? 昨日も放課後呼ばれたんだろ?」 「……うん、僕が週末課題を、ためていたから、それで……」 「あっ、だから俺が言っただろ? プリントやったかって。 結局やらないといけないんだから、ためないようにしなきゃ駄目じゃん」 「……そうだね」 「てか、早く弁当食べないと、もう時間ないぞ?」  もうすぐ五限目の授業が始まる。 「ん……あんまり食欲ないから、いいんだ」  自分の席に着いて、教科書を机の上に出した。  なるべく、普通に振る舞おうとしているのに、慎矢は僕の微妙な変化に気付いたように、また顔を覗き込む。 「……何?」 「何って、食欲ないなんて、どうしたんだ? 今日は朝から少し変だったし、熱でもあるんじゃないか?」 「――ッ……」  心配そうに僕の額に触れようとする慎矢の手を、咄嗟に払い退けてしまった。 「どうした?」 「……ごめん、なんでもないから。熱なんてないから」 「でも……」 「本当に……なんでもないから」  まだ何か言いかける慎矢の声を、遮るようにそう言ったところで、授業開始のチャイムが鳴った。  先生が教室に入ってきて、皆、席に戻っていく。 慎矢も不思議そうな顔で、僕を見ながら席に着いた。  慎矢の視線と、もう一人……教壇からは先生の、冷ややかな視線を感じる。  五限目は数学。  さっき慎矢に触れられそうになっただけで、身体の熱が一気に上がった。  放課後まで耐えられないかもしれない。  ――――――  昼休み、僕は約束通り、数学準備室のドアをノックした。 一問も、解いていない週末課題のプリントを持って。 『プリント、ちゃんとやって来たか?』  ドアを開けて中に入るとすぐに、窓際のデスクの前に座っている先生にそう聞かれて、僕は、『いいえ』と応えた。  先生は、笑っていた。 『じゃあ、一緒に解いてみよう。ドアを閉めてこちらへ来なさい』 『……はい』  ドアを閉めれば、昼休みの喧騒も遠くなった。  教室からも、他の準備室からも遠い、隔離された四階の一室。 『何度言ってもやって来ないなんて、伊織は何を期待してるのかな』 『……何も』 『すぐにそうやって嘘をつく。今日はお仕置きをしないとね』  そう言って、いつもの無表情な瞳で見下ろされ、冷たい指が頬から首筋、胸を辿り、更に下へと下りていく。  細くて長い指が、ベルトを緩めズボンの前を寛がせていくのを、 僕は……身動きもせず、ただじっと見ているだけだった。

ともだちにシェアしよう!