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―― 陽炎(37)
「ちっ……気分悪い。行くぞ! もう授業が始まる」
何も言わない慎矢から視線を逸らし、多田はそう言って踵を返して歩き出した。 脇坂は何度か後ろを振り返り気にしながらも、その後に続いた。
二人が体育倉庫から出て行って暫くしてから、慎矢は漸く崩れた跳び箱を退かせながら立ち上がった。
「早く、服着ろよ」
呟くようにそれだけ言って、僕に背中を向けたまま、こちらを見ようとしない。
僕が服を着る間、慎矢は無言で崩れた跳び箱を積み直していた。
「なあ……」
跳び箱を片付けたところで、慎矢は背を向けたまま、話し掛けてきた。
「……何?」
「その……それって……佐々木先生なんだろ?」
――それって言うのは、キスマークのことだよね。
「……うん」
慎矢に、この事を誤魔化すことなんて出来ない。
僕がSHRをサボって、佐々木先生の準備室に行っていた事を慎矢は知っているし それにあの時……慎矢がいつからあの場所で、僕を待っていたのか分からない。
「……伊織の本当に好きな相手って、佐々木先生?」
「……?」
「そうなんだろ?」
なぜか慎矢の中で、僕の好きな人は佐々木先生だということになっているらしくて、どう答えて良いのか戸惑ってしまう。
「……違うよ」
だから、下手な嘘をつくよりも、正直に言ってしまう方が良いと思ったし、何より、慎矢にこれ以上嘘を吐くのが嫌だった。
「――違うって? どういうことだよ」
だけど、その判断は多分間違っていた。
「どういう事だと、聞いてるんだよ!」
漸く振り向いて、僕に視線を合わせた慎矢の目は、真っ赤で潤んでいた。
「……慎矢……」
身体を震わせているのは、怒りから? 涙が滲んでいるのは、悲しいから?
「なんで好きでもない相手と、そんな事するんだよ」
荒々しい足取りで大股で近づいてきた慎矢は、マットの上に座っている僕の肩を押して、身体の上にのし掛かってきた。
「そんなことするくらいなら……っ」
そこまで言って、慎矢は言葉を詰まらせる。
「そんなことするくらいなら、俺にもヤらせろって言いたいの?」
慎矢に言わせるくらいなら、自分から言った方がマシだと思った。
「僕は……構わないよ」
「……なんで……そんなこと言うんだよ」
慎矢の涙が、ポタポタと上から落ちてきて、僕の頬を濡らした。
「……そうやって、多田逹の事も誘ったのか?」
慎矢がそう思うのなら……「……そうだよ」
――『小学校の時から友達だった俺と、こいつと、どっちを信じるんだよ』
さっき多田が言った質問の答えは、僕が教えてあげるよ。 そうして、僕から離れていく方がいい。これ以上、僕なんかに付き合う必要ないよ。―― 慎矢には、いつも明るい太陽の下を歩いてほしいから。
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