201 / 330

 ―― 希望(5)

 ******  強い陽射しが、容赦なくシャツの半袖から出ている腕をジリジリと焼く。手を翳して見上げると、雲ひとつない真っ青な空がどこまでも広がっていた。  もう、梅雨は明けたんだろうか。今日は、いったい何日だろう。  父さんと約束した通りに、僕はあれから外に出ることもなく、ずっと家の中で過ごしていた。太陽の下に出るのは久しぶりだから、元々日に灼けにくい白い肌が、余計に青白く貧相に見える。  だけど、ずっと父さんが傍に居てくれるから……。今朝のことを思い出しながら、今がとても……幸せだ。と、呟いた。  ――『学校に退学の手続きをしに行ってくる』  朝食を食べながら、父さんは、僕になのか、タキさんになのか、どちらとも取れるような口調で言った。 『本当にお辞めになるんですか?』 タキさんが、僕にではなく父さんに視線を向けて、問いかけているのを相変わらず匂いはするけど味を感じることのできない味噌汁を飲みながら聞いていた。 『私は反対ですよ、高校を辞めるなんて。それに、ずっと閉じ籠っていては、身体にもよくないですし……』  まだ続きがありそうなタキさんの言葉は、父さんが箸を置いたことで途切れてしまう。 『私と伊織のことには、口出しするなと言った筈だ』  それは、とても静かだけど、相手を威圧するような強さを孕んだ声だった。  それでも『でも……』と言いかけるタキさんの言葉は、椅子から立ち上がった父さんに今度こそ遮られてしまう。 『出掛ける』  タキさんからは、もうそれ以上否定の言葉は出てこなかった。  僕は学校の事よりも、父さんが出掛けてしまう事の方が不安で……でも何も言えずに、立ち上がった父さんをじっと見つめていた。 『大丈夫だ。用事を済ませたらすぐに帰ってくる。』  僕の視線に気づいた父さんは、ふっと目を細めてそう言ってくれた。その言葉に、僕の小さな不安も消えていく。  部屋から出ていく父さんの後を、タキさんが慌てて追いかけていくのを見送りながら、ずっとこのまま傍で暮らせるのなら、僕にはもう他には何もいらないと、本当にそう思っていた――  ――父さん、まだかな。  本当は外には出ないと約束したけれど、ずっと鬱陶しかった梅雨の季節の終わりを告げるような空の青に誘われて、つい外に出てみたくなった。  タキさんは台所で何か片付けをしているようで、僕が玄関の引き戸を開ける音にも気付かない。  そっと戸を閉めて、久しぶりに家の近くのあの階段の中腹まで下りてみた。父さんは電車で出掛けたから、もうそろそろ駅に着いて、この階段を上ってくるはず。  湿気が取れて空気が澄み渡っているようで、肌に照り付ける陽射しでさえ心地良い。  小さい頃から僕は、ここから見える街の景色が好きだったから、遠い昔も父さんに連れられて、ここに二人で腰掛けたこともある。  ――早く帰って来ないかな。  少しの間、出掛けているだけなのに、もうこんなに逢いたい。やっぱり僕は、父さんが居てくれれば、他には何も欲しいものなんてないんだ。  その時、一人の男の人が階段を上って来るのが見えた。  最初は父さんかと思って立ち上がりかけたけれど、それは違う人だということは直ぐに気付いた。  ――知らない人……だと、最初はそう思ったのに……。

ともだちにシェアしよう!