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 ―― 希望(8)

 僕の質問に彼は頷いて、「最初は少し戸惑ったことも事実だけどね」と言いながら、僕の頭に軽く手を置いた。 「僕達は親子だけど、君が生まれたことを僕は知らなかった。君も鈴宮さんが実の父親だと思って育った。急に本当の父親だと言われても、実感が湧かないのは分かるよ。僕も最初はそうだった」  話を訊きながらも、僕が頭に置かれたその手をやんわりと払い退けると、その人は小さく「ごめん」と言って微笑んだ。 「だけどね。君に初めて会ったあの日、沙織にそっくりな君を見て、ああ、本当に僕達が愛し合ってそれで生まれた命なんだと、ここが凄く暖かくなったんだ」  そう言って、その人は胸に掌を当てた。 「僕はね、沙織に出逢うまで人を本当に愛するというのがどういう事なのか、分かっていなかったと思う」 「本当に人を愛すること?」  その言葉を僕が繰り返すと、その人は「そう」と言って、遠くの景色に視線を移して、懐かしそうに目を細めた。 「僕は、親に薦められるまま見合いで結婚したんだけど、結婚ってこんなものなんだろうって思い込んでいた。だけど沙織と出逢って、僕の世界は180度変わった。一人の人を想って、こんなに幸福で、こんなに苦しくなるなんて、それまで経験したことが無かったからね」 「じゃあ、奥さんと別れて、母さんと結婚すれば良かったんじゃないか」  出逢って直ぐにそんな気持ちになったんなら、さっさと離婚すれば何の問題もなかったのに。そうしなかったのは、どうせこの人が優柔不断だったから。  僕の言葉に彼は「本当に、早くそう出来ていれば良かったね」と苦笑した。 「僕達は、お互いが引き寄せられるように出逢って愛し合った。なのに、沙織は突然別れたいと言い出したんだ。赦されない恋愛などしたくない。周りに祝福されるような結婚がしたいと言ってね」 「……当たり前だよ」  そうだね、と、その人は頷いて、また遠くを見やる。 「でも、その時の僕には引き留めることなんて、出来なかった」  今でも後悔しているよ。と、深く溜息を吐いてから、彼は言葉を続けた。  それは、僕に話して聞かせているのか、それとも届かないところに行ってしまった恋人に伝えたかったのか。僕には分からないけれど。 「沙織と別れてからは、あの幸福だった日々を忘れようと努力した。必死に仕事をして、妻にもちゃんと向き合おうとしていた。きっと沙織も今頃幸せに暮らしていると信じていたから」  ――だけど、時折ふと、想いを馳せてしまう。  本当に好きになった人のことは、何年経っても思い出して、その色は褪せたりしないものなんだねーー  母さんのことを想いながら話すその人は、ふわりと幸せそうな笑みを浮かべていた。  振られてしまったのに。もう逢うこともできないくらい遠くに行ってしまったのに。いつだって、失くしたものの大切さに後から気付く  今更遅いのに……どうしてそうやって笑えるんだろう。

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