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―― 希望(14)
苦しくて……、
開いた口の端から唾液が零れ落ちる。必死に呼吸をしようとして口を動かしても息は吸えなくて、ただ引き攣ったような音が鳴るだけだった。
もしもこのまま死んだら、そしたらきっと……、
僕はずっと父さんの傍にいることができるのかな。……父さんは、ずっと僕の傍にいてくれるのかな。
――なら、いいや。
――――――
――雨が降っている……。
僕は学校にいる。
学校は辞めたはずなのに……これは夢なのかな。
――これは……夢……。
だって、教室の机も椅子も、すごく小さくて、そこに座っている僕も小さくて……。
雨音が大きく聞こえてきて、頭の中で響いてる。
朝、家を出る時は小雨だったのに。2時間目くらいから、雨は教室の窓を激しく打ち付始めて……。
今日の体育は水泳だったから、苦手な僕は中止になったことが、ちょっぴり嬉しかった。
風が強くなってきて、校庭が水浸しになっていて。
僕、今日は長靴じゃないから、お気に入りの新しい靴が汚れちゃうのが嫌だなーと、帰りはどうやって歩けば靴を汚さずにすむかなって、そればかり考えていた。
そうしたら、給食を食べ終わった後に先生が、警報が出たから午後の授業はなくなりましたって、言ったんだ。
みんな、家に帰れるって喜んでたけど、僕は新しい靴の心配ばかりしていた。
帰りの会が終わって教室から出たら、傘やレインコートを持って迎えに来てくれているお母さん達がちらほらいて。
いいなあ……と、その光景を横目で見ながら昇降口へ歩いていくと、下駄箱の前で母さんが僕を待っていてくれたんだ。
『母さん!』
母さんが僕に微笑みかけてくれている。
透き通るような白い肌。桜色した唇が綺麗な弧を描いていて、母さんがこんなに綺麗に微笑むのを久しぶりに見た気がする。
最近は笑っても、その笑顔がどこか寂しそうな気がしていたから、僕はすごく嬉しくなった。
『迎えにきてくれたの?』
うん、と頷く母さんから視線を外さずに、僕は急いで靴を履き替えて、母さんと手を繋ぐ。
白くて柔らかい手は、雨のせいか少し冷たく感じた。
車を停めてある所まで、校庭を歩かないといけなかったから、僕はハネが上がらないように、そおっとそおっと歩く。
足元ばかり気にするから、さしている傘が全然役目を果たしてなくて、時々母さんが傘を引き上げて僕の頭が濡れないように戻してくれた。
母さんが車を運転するのは珍しいな。今日は父さんは仕事が忙しいのかな。
そう思い込んでいた。
本当は助手席に乗りたかったんだけど、後ろに座りなさいと言われて、しぶしぶ後部座席に乗り込むと、大きなスーツケースが置いてあった。
『あれ? どこか旅行に行くの?』
僕がそう訊くと、母さんは運転席から僕を振り返って、にっこりと微笑んだ。
『そうよ。伊織、母さんと一緒に来てくれる?』
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