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 ―― 希望(15)

『うん!』  旅行なんて久しぶりだから嬉しくて、すぐにそう答えたら、母さんもすごく嬉しそうに「ありがとう」と言った。  車は学校の敷地を出て、雨の中を歩いて帰って行くみんなの色とりどりの傘の横を、ゆっくりと通り過ぎていく。  校庭が水浸しだったから、気を付けて歩いても新しい靴は泥が付いてしまって、先の方から雨が染みて中まで濡れていた。  きっと家まで歩いて帰っていたら、もっと汚れてしまっていたかもしれないけど……。父さんと母さんと僕、この靴を買いに久しぶりに一緒に出掛けた日のことを思い出すと、やっぱりちょっと悲しかった。 『……あれ、そういえば父さんは?』  一緒に旅行に行かないのかな。  母さんがすぐに答えないから少し不安になって、僕は後ろから身を乗り出して、運転席の母さんを覗き込んだ。 『……母さんと伊織の二人だけで行くのよ』  やっと返ってきた答えに、僕は「ふーん」とだけ言って、ハンドルを握る母さんの手をぼんやりと眺めていた。  薄手のカットソーから覗く白い手首をぐるりと巻く、赤い痣を見つけて、僕は少し心配になった。 『でも……父さんのこと置いて行ったら、また怒られない?』 いつもは物静かな人だけど、怒ると怖くて、母さんはよく泣いていたから。 『……大丈夫よ……だから…………。ほら、伊織、ちゃんと座ってシートベルトをしてなさい』  運転をしながら、後ろから覗き込む僕の頭をポンと軽く叩く。  ――『……だから』の前と後がよく聞き取れなかったけど、 『あ、そうだった』  母さんに注意されて、僕は慌てて座席に座り直し、シートベルトをカチャンと締めた。  僕は標準よりも背が低いから、シートベルトが首の辺りに当たって、鬱陶しい。  窓の外に目をやると、学校を出た頃よりも雨がいっそう激しくなっていて、車はカーブの多い道を走っていた。  母さんは大丈夫だと言ったけど、前に母さんが一人で出掛けて帰りが遅くなった時、夜中にトイレに起きたら、父さんの怒った声と母さんの泣いてる声が聞こえてきたのを思いだして……僕は不安になってしまう。結局僕は、あの夜トイレに行かずに部屋に戻って……いつの間にか寝てしまったんだけど。 『ねえ、旅行ってどこに行くの?遠く?』 『母さんの、生まれて育った街に行こうと思うの。そんなに遠くないのよ』  母さんの生まれた場所ってどこだったっけ。そう考えながら、僕は窓の外に流れていく景色に視線を巡らせた。  まだ昼間なのに、空は真っ黒な雲に覆われて、辺りは夜みたいに暗い。  走っている車は少ないけど、時々対向車線にトラックのライトが眩しく通り過ぎていく。  遠くに、稲妻が光るのが見えていて、ちょっと怖い。  打ち付ける雨で、フロントガラスの向こうはよく見えなくて、ワイパーが忙しく動くのを見ていたら、少し眠くなってきたんだ。  ずっとカーブが続く坂道を上がり、長くて仄暗いトンネルを抜けると、雨の向こうに明るい街の灯がいっぱい光っているのがぼんやりと見えて、もうすぐ母さんの生まれた街って所に着くのかなって思いながら、僕は重くなる瞼を開けていることはできなくなった。

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