212 / 330

 ―― 希望(16)

 頭を凭れさせている車の窓の振動と風雨の音に、夢とうつつの狭間を意識は波のように揺れる。  今日の母さんの、とても綺麗な笑顔を瞼の裏に映しながら、ふっと引き入れられるように深い眠りに落ちそうになったその時、突然、ゆらゆらと心地よく揺れていた感覚が、大きく横に振られた。 (――なにっ?)  考える間もなく、ブレーキの音と共にすごい重力がかかり、上半身が前のシートの背に押し付けられた。  経験した事のない頭の痛みと、きゅうっと一瞬で腹と頸を強く締め付ける苦しさに襲われる。  何が起こったのか理解できなくて、目の前は真っ暗で、痛くて苦しくて。 (――息ができない!)  自分の喉から引き攣るような音が鳴る。  その苦しさから逃れたい一心で、僕は瞼を閉じて暗闇に呑み込まれていく。  ――きっとこれは、夢だと思ってた……。  ――憶えているのは……。  ずっと鳴り止まないクラクション。  すごく近くに聞こえる、雷鳴。  身体が重い。  瞼も重い。  寒くて、寒くて仕方ない。  痛い、痛い、苦しくて息ができない。  自分の身体とは思えないくらいに重い腕を動かして、頸を締め付けているものに必死に指を伸ばした。  それがシートベルトだということは理解できたけど、その表面には何かヌルヌルした液体がついている。  頸とベルトの間に、なんとか指を差し入れてできた僅かな隙間に、漸く息を吐くことができて……。  身体はぐっしょりと濡れている。  視線を前に向けると、粉々のフロントガラスから、横殴りの雨が吹き込んでいた。  稲光が暗い車内を照らして、一瞬だけ見えたのは…………雨で肌に張り付いた薄手のカットソーから覗く、白くて細い手。  その手首をぐるりと巻いている赤い痣の上を、真っ赤な血が滴り落ちていた。  どこからか、幾つもの光がやってきて、「大丈夫か?」って聞いてくる。  誰かに抱きかかえられて、身体を締め付けるものが外されて、少し楽になった。  だから必死に声を出そうとしたのに……。  ――母さんを助けて――  上手く言えたかどうかは、分からない。  僕は男の子だから、ちゃんと母さんを守らないといけないのに。  母さんが泣いているって知っていたのに、助けてあげることが出来なかった。  ずっと助けたかったのに。  どうしたら良いのか分からなかったんだ。  ――――――  ――これは夢?  窓を閉める音がして、 雨の音が遠くなる。  目を開けると、いつもの部屋の天井が滲んで見えて、涙が目尻からこぼれ落ちた。

ともだちにシェアしよう!