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―― 希望(17)
涙を拭おうと、動かそうとした手が何かに引っ張られて、じゃらりと金属音がする。
首を捩って見上げると、頭の上で纏められた手首にはレザーの手枷がはめられていて、そこから伸びた鎖がベッドに固定されている。
「……何を泣いている」
声のする方に視線を巡らせれば、ベッドの傍に立っている父さんに見下ろされていた。
――父さんは、いつからここに居たんだろう。
すっと伸びてきた指先が、僕の目元に溢れた涙を拭ってくれる。
僕はどれくらい眠っていたんだろう。時間の感覚が分からない。
――母さんの夢を見ていた。
あれは、全部夢だったような気もするし、記憶の底に沈んでいた現実かもしれない。どちらともつかず、僕はぼんやりと自分の手首をもう一度見上げた。
「……これ、母さんにも使っていたの?」
その言葉は、何も考えずに、あまり意味もなく、ただ口が勝手に動いただけ。父さんの答えを期待していた訳でもなかったと思う。
「……どうして?」
どうして……と返ってきた質問に、僕は答えなかった。
だって、この手枷が、母さんの手首にはめられていた物と同じかどうかなんて、どうでもいい話だから。
今、僕は自分の部屋のベッドの上で、両手を拘束されていて。
何も身に着けていない肌を隠しているのは、一枚のタオルケットだけで。
そして、傍には父さんがいるという現実。
ただそれだけで良かったんだ。他には何も要らない。
過去のことなんて、今の僕が思い出しても、何も変わらない。
ギシリとスプリングが軋み、父さんがベッドに膝を突き、僕に覆いかぶさってきて、少し冷たい温度の唇を重ね、啄むようなキスをくれる。
「……腕、痛くないか?」
優しい低い声が響くように身体に伝わって、胸の奥を熱く震わせる。
「大丈夫だよ」
僕をこのまま父さんの鳥籠に閉じ込めておいて。そうしたら、ずっと一緒に居られるよね?
――本気でそう思ってる。
「こうしておかないと、またお前が何処かに行ってしまいそうだから」
そう言った父さんの瞳には、仄暗い情欲が宿っている。
父さんは、今も僕じゃなくて母さんを見ているんだ。
過去に何があったのか、子供だった僕は全部は知らない。
幸せだった思い出しか、僕には残っていない。
だから、それ以外の事を思い出してはいけない。
だけど、ただひとつだけ、はっきりと思い出していた。
――母さんのお葬式に、入院していた僕は出ていなかった。
あの暑い夏の日、父さんと二人で母さんを空へ見送ったと思ってたいたのは、きっともっと後のこと。
父さんは、母さんが居なくなった事を理解できない僕の手を引いて、あの場所に連れて行ってくれた。
母さんは、あそこから空へ昇ったんだと。
あの時、繋いだ僕の手をぎゅっと握ってくれていた父さんは、次々と溢れる涙を拭おうともせずに、ずっと空を見上げていた、
父さんは、本当に母さんのことを愛していた。
だから良いんだ。
僕は、母さんの代わりでも……。
ううん、違う。
僕は、なりたいんだ。……母さんの代わりに。
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