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―― 希望(30)
「吸えよ」
唇に吸い口を押し付けられる。
煙草は今迄にも、凌に貰って何度か吸ってみた事はある。
父さんの真似をしてみたくて。これを吸えば父さんに近付けるような気がしていたから。
だけど、この煙草はそんな匂いとは全然違う。
「……要らない。なんかそれ変な匂いする」
その匂いに耐え切れずに顔を背けた。だけど、凌はそう簡単には許してくれない。
「いいから吸え」
顎を捕らえられて、また唇に吸い口を押し付けられた。
僕は溜め息をひとつ吐き、仕方なくそれを唇に挟んで、軽く吸い込んだ。
苦味が咥内に広がる前に煙を直ぐに吐き出すと、凌は「ダメだ」と言って、掴んだ顎を強く引き上げる。
「吹かすな。ちゃんと肺一杯に吸い込め」
上を向かされたまま、また吸い口で、きつく閉じた唇をつつく。
なんでそんなに吸わせたいのか訳が分からないまま、僕は仕方なくもう一度それを咥えて、今度は肺まで思い切り吸い込んだ。
煙草の先端が、ジリッと赤くなる。
「……ん――ッ!」
咥えさせられた煙草は引き抜かれたけれど、代わりに凌の大きな手で口と鼻を同時に塞がれて、突然のことに僕は目を見開き、必死にその手の下で抗議の声を上げた。
「もったいないから、まだ吐き出すなよ」
――苦しい!
息を吸うことも吐く事も遮られて、苦しさにもがく僕の脚は、凌の両脚で絡めるように挟まれて動きを封じ込まれてしまう。
身体中に煙が充満していく。
言葉を発せないから、掴んだ凌の腕に爪を食い込ませて、苦しいと訴えた。
漸く塞いだ手が鼻だけ外されて、僕は細く息を吐き、必死に空気を吸い込もうとした。
だけど口は塞がれたままで、息苦しさに耐え切れずに、塞がれた手の中で何度も咳き込んでしまう。
「どうだ?」と、笑いながら凌が訊いてくる。
手が離れて解放されても咳が止まらなくて、ひとこと言ってやりたいのに、それすら出来ない。
息苦しくて、何度も空気を肺に送り込む。
鼓動が有り得ないくらい早くなって、荒い息を吐いているのに、どこか他人事のように感じる。
凌の顔が近付いて、唇が触れた。
濡れた舌先で唇を舐めて「どうだ?」と、また訊いてくる。
僕の返事を待たずに、凌は唇を重ねてきた。
舌が歯列をなぞる感覚が、いつもよりも鋭敏に感じる。
さっきまで床に座っていた男達の顔が、キスをしているところを覗き込んでいるのか、すぐ近くに見えた。
舌を絡め取られて、ピチャピチャと水音が頭の中に響くように聞こえてくる。
小さく細い耳鳴りがしている。
――何かが変だった。
凌のキスに感じたことなんて、一度だって無かったのに。
――すごく気持ちいい。
官能を引きずり出すように、僕の咥内を凌の熱い舌が甘く愛撫する。まるで……父さんにされているみたいに。
さっきまで寒いと思っていたエアコンの冷気を全然感じないのに、不思議と肌は氷のように冷たい気がする。
なのに、熱は全身の血管を巡って、広がっていく気がした。
いつの間にか、他の男達の幾つもの指先が、肌の上を這っている。
――熱い……。
その指がすごく熱く感じる。触れられたところが火傷しそうなくらい熱くて、どろどろに溶けていくような気がした。
「……や……、あ……っん」
誰かに耳の中を愛撫されて、鼓膜を水音が覆う。
煩いだけだと思っていた音楽が、突然洪水のように、身体の中に流れ込んできて、その音のひとつひとつが、鮮明に聞こえてくる。
叫ぶように歌っていたボーカルの声が、やけに美しく感じた。
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