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―― ESCAPE(6)
「……喧嘩でもしたのか?」
人との関わりを持つことを避けていた鈴宮が、大谷にだけには頑なな心を解いているように思えていた。
実際、二人が一緒にいるところを見かけると、鈴宮は自然に和らいだ表情を見せるようになってきていた。
沢山じゃなくて良い、親しい友人が一人だけでもできたなら、不登校気味だった鈴宮も少しは学校に来るのが楽しくなるんじゃないかって、そう思いかけていた。
そんな矢先に、鈴宮は退学したいと言い出した。
「……喧嘩なんてしてない。寧ろ思いきり喧嘩ができたら良かったのかもしれない。学校を辞めたのだって、もしかしたら俺のせいかもしれないんだ」
大谷は、俺に見えないように頬に流れた涙を手の甲で拭う。「俺が、あいつを疑ったりしたから悪いんだ、悪いんだ」と、何度も繰り返しながら。
「自分をそんなに責めるな。鈴宮くんが学校を辞めたのは、君のせいなんかじゃないよ」
多分……。本当のところは俺にも分からないけれど。でも、鈴宮が不登校気味だったのも、学校を辞めたのも、あの父親が何らかの原因になっているんじゃないだろうか。
あの、最後に見た時のあの部屋の空気。身体中に散りばめられた情事の痕跡も。手首に嵌められたあの枷も。
そう言えば、いつだったか父親が不在だった時に彼の家を訪れた時も、手首をぐるりと巻いた赤い跡が残っていた。
あの二人が親子以上の関係を持っていることは明白で、でもだからと言って、それが異常だと言うのではなくて……。
もっと何か、鈴宮は精神的に追い詰められているように思える。
「だけど最後に会った時、伊織のお父さんが帰ってきて、伊織は今までに見たことがないくらいに、嬉しそうな顔をしていた。だから学校を辞めても、それでもきっと伊織は幸せなんだと思っていたのに……」
「鈴宮くんが? 幸せそうに見えたのか?」
少し驚いて、思わず話の途中で言葉を被せてしまった。俺にはとてもそんな風に……鈴宮が幸せそうには見えなかった。
――『これは僕が望んだことなんだから』
そう言った彼の瞳は、どこか暗い影が潜んでいるような。何かを諦めているような。高校生が見せるような表情ではなくて、とにかく幸せそうには、とても思えなかった。
「……なのに、夏祭りで見かけたあいつは、全然幸せそうなんかじゃなくて」
と、大谷は、途中で途切れた言葉の続きを話し始める。
「最初は嫌がっていたみたいなのに、井上先輩に引っ張られるまま従いて行ってしまって」
「だけど鈴宮くんは、井上くんや速水くん達と仲が良かったんだろう?」
――その付き合い方は別としても。
俺の言葉に大谷は小さく頷いて、「でも」と、言いにくそうに口籠ってから、俺にしっかりと視線を合わせて言葉を続けた。
「……でも、伊織が自分から進んで従いて行ったようには見えなかったんだ」
それは、はっきりとした強い口調で、それだけは確かなんだと訴えるように。
「……何か……どこか諦めたような表情をしていた……だから心配なんだ。伊織が先輩達とまた連むなんて絶対変なんだ」
――どこか諦めたような……。それは俺もずっと引っかかっていた。
「……分かった。とにかくあの建物に行ってみよう」
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