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 ―― ESCAPE(9)

 二人が曲がった角の近くまで行けば「――放せよっ!」と、叫ぶ声が此方の通りまで聞こえてくる。  街灯の少ない細い路地の十メートルほど先で、大谷が井上を背後からガッチリと捕まえているのが見えた。 「――井上くんっ……」  漸く二人に追い付いた俺は、訊きたい事が山ほどあるのに、情けないことに息が上がってしまって、すぐには喋れない。 「――っ、痛いってば、もう逃げないから放せっ」  井上も肩で息をしながら、羽交い締めにされた大谷の腕から逃れようともがいていた。 「……大谷くん、放してあげて」  息を整える事すらもどかしく、大谷の腕から離れた井上の両肩を掴んで此方を向かせる。  さっきあの建物から出てきた時に、チラッと見えた口端の傷は、思っていた以上に酷くて、周りも赤紫に変色している。  頬の辺りも、手加減なく殴られたんだと誰が見ても分かるくらいに腫れていた。 「その顔……どうしたんだ。喧嘩したのか?」  顔を覗き込もうとすれば、井上は逃げるように顔を背けた。 「……関係ねえよ」 「誰にやられたんだ? 速水くんか?」  速水の名前を出した途端に、井上は背けていた顔を戻し、俺に視線を合わせると、「――違う、凌じゃねえよ」と、はっきりと否定する。 「そうか」  これ以上追求しても、その事に関しては絶対に話さないという気迫を感じる。  だが、もしも夏祭りで見かけた時に、既に井上がこの状態だったとしたら、大谷が俺に伝えておかないはずが無い。  つまり、あの建物の中で、誰かに殴られたということは確かだ。  無理に聞き出そうとするよりも、話を切り替えることにした。 「鈴宮くんと、一緒だったんだよね?」 「……知らねえよ」  そう言って、そっぽを向く井上に大谷が声を荒げる。 「嘘つくなよ! 俺がちゃんと見ていたんだからな」  そして、また井上に掴みかかり、揉み合いになってしまう。 「止めなさいっ」  何とか間に割って入って止めたけど、二人は荒い息を吐きながら、俺を挟んで睨み合っている。 「喧嘩してる場合じゃないだろう?」と声をかけると、大谷からは「すみません」と小さい声が返ってきた。  今は、鈴宮があの建物の中に居るのかどうか確かめなければ、どうにもならない。 「井上くん、鈴宮くんは、何階にいるんだ?」  俺の問いに、井上はすんなりと「八階」と答えて、慌てて口を手で押さえている。 「そうか、八階か。やはりあの建物の中にいるんだね。」 「い、いるけど、なんで伊織があそこに居たらダメなんだよ? なんで先生が出てくるわけ? 伊織は凌と一緒にいるだけなのに!」 「そうか。速水くんも一緒なんだね?」  井上の言葉に、一瞬は単純に安堵した。速水と一緒にいるだけなら、もしかしたらそんなに心配するような事もないのかもしれないと。  ただ単に、鈴宮はあの父親と喧嘩でもして、一時的に家を出てきただけだとしたら……。  だけど、速水と一緒にいる事を、つい口を滑らせて答えた時の、井上の慌てようが引っかかる。何かおかしいと胸騒ぎがした。  井上の顔の傷も、やはり鈴宮のことに関係しているんじゃないのかと。 「……中で、二人は何をしているんだ?」

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