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―― ESCAPE(19)
タクシーに乗っている間、鈴宮は一度も起きなかった。
俺の肩に凭れて眠る顔は、いつもの大人びた表情は消え、あどけない。
細い前髪が張り付いている額の汗をそっと指で拭っても、微動たりともしない。 車の音に掻き消されてしまう微かな寝息を、時々確認しないと不安になるほどだ。
力の抜けた身体が車の振動に揺れないように、細い肩を柔らかく抱き寄せた。
鈴宮の父親に連絡をしようかと迷う。
この子は、あの父親を親子としてではなく、別の感情で愛しているのだろうか。
そして、あの父親も同じ気持ちなんだろうか。 本当にそうなんだろうか。
だけど鈴宮は、あの部屋から、あの家から、自分の意思で出てきたのだ。
このまま何も聞かずに家に連れ戻すことが、本当に最善なのか考えあぐねて、取り敢えず自分のマンションに連れて行くことにした。
さっき、鈴宮がビルから出てきて、腕に抱いた時に感じた精の匂い。……とにかく、身体を綺麗にしてやりたかった。
俺を頼るように伸ばされた細い腕が、腕の中に委ねてくれた折れそうな程に儚い身体が、建物の中から駆け寄ってくるあの光景が、頭の中で何度も繰り返し流れる。
抱き上げた時は、あんなに軽いと思ったのに、今、俺の肩によりかかる頭に、ずしりと重みを感じる。
その重みに、たまらなく愛おしさが込み上げていた。
******
くたりと力の抜けている鈴宮を、取り敢えずリビングのソファーに寝かせて、俺はバスルームに向かった。
バスタブに湯を張りながら、タオルや着替えの準備をする。
身体を洗って、暖かい湯船に浸からせてやりたいが、起こさないと無理だろうか……と、考えながらリビングに戻ると、鈴宮は、ソファーの上で起き上がって、座っていた。
「……鈴宮くん?」
俺が声をかけても、すぐには振り向かず、朝日が射し込む窓の外をぼんやりと眺めている。
「鈴宮くん」
もう一度声を掛けると、漸く此方へ視線を巡らせた。
「……その……、気分はどうだい?」
此方を見ているのに、その瞳には俺は映っていないように思えた。
焦点が合っていないのか、俺だと認識できていないのか。
窺うように、その瞳を覗き込み、もう一度名前を呼んでみた。
「鈴宮くん?」
「…………」
僅かに唇が、「みず」と動いたように見えた。
「水か? ちょっと待って」
さっきコンビニで買い物をした袋が、ダイニングテーブルの上に置いたままになっていた。
袋からペットボトルを取り出してキャップを開けたところで、背中にふわりと寄りかかる重みに、驚いてビクッと身体が跳ねた。
鈴宮が、いつの間にかソファーから俺の所まで歩み寄り、背中に寄りかかってきたのだ。
思いがけず、背中に感じた体温に、ドキドキと心臓が早鐘を打ち始めた。
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