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―― ESCAPE(23)
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もうすぐ時刻は、午後五時になろうとしている。
音を立てないように寝室のドアを開けて中を覗けば、穏やかな寝息が聞こえてきた。
――よく眠っている。
浴室のバスタブに、みっともなく嵌まってしまった俺に、既の所で退いた鈴宮は、『……ごめんなさい、大丈夫?』とすまなそうに言って、手を差し伸べてくれた。
『あ、ははは、大丈夫だよ。ありがとう』
少し照れ臭く感じながら、差し出された手を握ると、華奢な指がしっかりと俺の手を握り返してくれる。
細い腕で、俺を引き上げてくれる力は頼りなくて、殆ど自分の力で立ち上がったのだけれど。
俺をバスタブから救出してくれた後も、すぐにふいっと、素っ気なく横を向いてしまったけれど。
なんだかとても嬉しかった。
『どうせ濡れてしまったんだし、先生も入れば?』と言うと、ボディソープを掌に取り、俺に背を向けて身体を洗い始めた。
俺も濡れた服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びて、鈴宮の後ろからボディソープに手を伸ばした。
『……背中、洗ってやるよ』と、泡立てたボディソープを背中に滑らせると、『いいってば……』と僅かに抵抗をする。
だけど、それほど嫌がるわけでもなく、その後は、おとなしくじっとしていた。
雫が流れ落る白いうなじや、背中から腰にかけてのしなやかな線を洗いながら、小さな擦り傷が幾つかあることに気が付いた。
『どこも痛くないか?』と問えば、『これくらい平気』と背を向けたまま、抑揚のない声が返ってきた。
痛くない筈はない。身体も心も。
――だから父さんも僕を愛してはくれなかった。
そう言って、泣いていた。
何があったのだろう。どんな絶望がこの子を苦しめているのだろう。忘れる為に誰かを愛したいなんて。
今は、涙も見せずに痛みを堪えている小さな背中を、何度も後ろから抱きしめてやりたい衝動に駆られるのを必死に抑えていた。
浴室から出て、鈴宮にはかなり大き過ぎる俺のパジャマを着て、ちょこんとリビングのソファーに座り、またぼんやりと窓の外を眺めていた。
『何か食べるか?』と問えば、ゆっくりと視線を俺の方へ向けて、『要らない、眠りたい』と、座ったまま瞼を閉じようとする鈴宮を寝室に連れて行った。
俺が部屋から出て行こうとすると、『先生…… お願いだから家に知らせないで』と俺のシャツの裾を掴んで引き止める。
『分かった。だから安心して眠りなさい』と、柔らかい髪を撫でると、鈴宮は目を閉じて微かに微笑んだ気がした。
すぐに寝息を立て始めた鈴宮から、そっと離れてリビングに戻り、俺は電話を取る。
アドレス帳を表示して、目当ての番号を探し通話ボタンを押した。
先ずは、鈴宮の家に連絡をする為に。
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