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―― ESCAPE(26)
その様子を見ていて、
――ああ、そうか……。今、鈴宮に一番必要なのは、こういう事なのかもしれない。と、思う。
「伊織、身体大丈夫なのか?」
「なんで? ……ただ眠くて寝ていただけだよ」
心配そうに見つめる大谷の視線から逃れるように、鈴宮はさりげなく身体の向きを変え、ソファーに腰を下ろした。
「でも……、お前、速水さんに……酷いことされたんじゃないの」
昨夜、井上が言った、あの部屋での事が気になるんだろう。大谷は、鈴宮の様子を窺うようにその隣に腰を下ろした。
「……凌が、僕に? 酷い事なんてする訳ないじゃない。……ねえ? 先生」
「…… あ? ああ、そうだな」
同意を求められて頷いたけれど、もちろん速水のした事は許せる事ではない。
そして、もちろんその事を、大谷に知らせるつもりもない。
「だけど……」
と、言いかける大谷の声は、鈴宮の声に遮られた。
「――慎矢、昨日僕は、自分から凌の所に行ったんだ」
ここに来てからずっと、鈴宮は感情を失ったような声で話していたのに、今は、掠れた声を喉から必死に搾り出すようにして、大谷に必死に説明している。――まるで、速水のことを庇うように。
「だから、凌は何も酷いことなんてしていない。全部僕の意思だった」
そう言葉を吐き出すと、鈴宮は、また大谷から顔を背けてしまった。
「え……、嘘だろう? だって……」
当然、大谷は納得がいかない様子で、鈴宮の肩を両手で掴み、顔を覗き込もうとしているけれど。
「……そうだよ、僕はまた慎矢との約束を破ったんだ」
鈴宮がそう言った瞬間、大谷の表情が硬くなって、鈴宮の肩を掴んでいた手も力なく下へと滑り落ちる。
「……呆れたでしょう? だからもう、僕なんかに関わらない方がいいよ」
さっき少しだけ見えた、鈴宮の和らいだ表情も、すっかり陰を帯びてしまう。
「あ、ああ、そうだ。速水くんの部屋で、ちょっと好奇心でアルコールを飲んでしまったんだよな。それで今日は体調が悪いんだ」
俺は、思わず適当な嘘で誤魔化して、二人の話に割って入ってしまった。
「……凌は……悪くないよ」
ポツリと零した言葉は、自分に言い聞かせているようにも、大谷に言っているようにも、俺に訴えているようにも聞こえた。
「ああー、分かった。要は酒盛りしてたってことだろ?」
急に明るい声音で、大谷はまた鈴宮の肩を掴んで自分の方へ向かせ、目線を合わせる。
「俺、言ったよな。お前のこと信じるって。だから……、それがお前の強がりでも何でも意味のある事なんだと思うから、ちゃんと信じてるから。 伊織が嫌だって言っても、ずっとお前の友達でいるからな!」
最後に吐き捨てるように言ったその言葉は、多分、昨夜大谷が言っていた、鈴宮に伝えたかった言葉なんだろう。
――ずっとお前の友達でいるからな!
それはきっと、簡単なようで難しい事なのかもしれない。大谷のその言葉は、鈴宮の心にどう響いただろうか。少なくとも俺はちょっと目頭が熱くなるのを感じた。
「分かったか!」 と、強い口調で言葉を続けて、大谷はその後、照れ臭さを誤魔化すように掴んでいた鈴宮の肩を突き放した。
――顔が真っ赤だ……。
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