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 ―― ESCAPE(28)

 ******  夜半に降り出した雨が、風と共に段々強くなってきて、遠くに小さく聞こえる雷鳴で目が醒めた。  昨日、殆ど眠っていないのに、やはり狭いソファーで寝るのは慣れていないせいか、眠りが浅い。  部屋に射し込む夜の仄かな明かりが、窓に打ち付ける雨を壁に映している。  寝室で眠っている鈴宮は、この音で目が醒めたりしていないだろうか。  大谷が帰る時、玄関まで見送った鈴宮は、それまで和らいだ表情を見せていたのに、リビングに戻るなり、神妙な面持ちでポツリと俺に訊いてきた。 『先生、家に連絡した?』 『……いや? ……して欲しくなかったんだろう?』  俺が返した言葉に、鈴宮は小さく頷いた。  正直に連絡した事を言って、鈴宮の父親の言葉を伝えた方が良いのだろうか。そうすれば、もしかしたら鈴宮は自分から家に帰るのかもしれない。  頭の片隅でその考えも過ぎったけれど、結局言えないままだ。  でも、このままにしておく訳にもいかない。明日にでも話してみようか。  学校は夏休みに入っているけれど、教師は勤務日だから明日は学校に行かなければならない。  鈴宮を一人残して行くわけにもいかないし、俺の顧問する美術部に行ってみないか? と誘ってみた。  前にも一度、誘ったことはあったのだけど……。  あの時は、けんもほろろに断られたっけ。  だけど今回は、 『……なんで。僕、学校退学したのに』と怪訝そうにしていたが、行きたくないとは言わなかった。 『大丈夫だよ。退学届は俺のところで留めたままだし。君はまだあの学校の生徒だから』  そう応えると、鈴宮は目を丸くして驚いていたな……。  その顔を思い浮かべて、ふふっと、一人小さく笑い声を漏らしてしまう。  制服が無いけど……まあなんとかなるだろう。  今は、外に目を向けさせて、何にでも良いから、興味の持てるようなことを見つけることができれば。  ――先延ばしにしている父親のことも、折を見て、ちゃんと話をしてみよう。  そんなことを考えていると、不意に部屋の中へ明るい稲光が射し込んで、次の瞬間雷鳴が割れるような音を立てて辺りに響く。  突然、耳をつん裂くように届くその音には、大人でも吃驚して肩が震えてしまう。  いつの間にか雷がすぐそこまで近付いてきていた。  雷の音が止んで、一瞬の静寂が訪れる。でも、またすぐ次が来るだろう。鈴宮がこの音に起こされなければ良いが……。  その時、キィ……と小さくドアの開く音がする。  上体を起こし、音のした方を見れば、鈴宮が寝室のドアを開けて立っていた。  やはり、雷の音で起きてしまったか。そう思った瞬間、また稲光が部屋の中を蒼白く照らした。  光の中で、鈴宮は怯えるように耳を塞いで、床へ崩れ落ちる。  その光が消えないうちに被さるように鳴り響く雷鳴の中、鈴宮の小さな悲鳴が聞こえた。 「――鈴宮?!」  慌てて駆け寄れば、鈴宮は耳を塞いだまましゃがみ込み、全身を小刻みに震わせている。 「……なんだ? そんなに雷が怖いのか?」  いつも生意気で大人びた表情を見せる鈴宮が、こんなに子供のように雷を怖がるなんて意外だった。  宥めるつもりで肩を抱き寄せると、細い腕を俺の腰に回して、しがみ付いてくる。 「……独りに、しない……で」  雷鳴の音に掻き消されそうな小さな声で、途切れ途切れの言葉が聞こえてきた。

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