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 ―― ESCAPE(35)

「今、開けます。少しお待ちください」  インターフォンの通話を切って、鈴宮を見れば縋るような眼差しで俺を見つめていた。 「……父さんの……話って……何だろう」  何をそんなに怯えているのか、不安そうに声が震えていた。 「それは勿論……、帰ってくるようにと、話をしに来られたんじゃないかな」  鈴宮にとっては、大好きな父親が迎えに来てくれているのに。 「僕は……帰った方が良いのかな。それが一番良いのかな」  どうして、そんなに迷っているのか。 「それを知る為にも、ちゃんとお父さんと話をした方が良いんじゃないか?」  そうする事が、この親子の縺れてしまった糸を解く一番の方法なんだと、俺は思っていた。 「大丈夫だよ、きっと良い方向にいく」  鈴宮が怯えるようなことは、何ひとつ無いと思っていた。  それでも、まだ不安そうにしている鈴宮の頭に、ポンと軽く手を載せて、 「俺も傍にいるだろ?」  と言えば、不安そうに瞳をゆらりと揺らめかせながらも、鈴宮は小さく頷いた。 「どうぞ」 「お邪魔します」  父親をリビングに案内すれば、そこで待っていた鈴宮は途端に俯いてしまう。  そんな鈴宮に父親は真っ直ぐに歩み寄り、「伊織」と声をかけた。  父親の顔色を窺うように、俯いていた鈴宮の顔が僅かに上がる。 「元気にしていたか」  言いながら父親は手を伸ばし、鈴宮の頬にするりと指を滑らせた。  瞬間、鈴宮の瞳が揺れて、頬が仄かに桃色に染まっていく。  ああ……、やはり……。と、思う。  鈴宮は、この父親を好きなんだ。そして親子のそれを超えた恋情がこの二人を結び付けている。  きっと、俺なんかが入る余地など無いくらいに。  だから、こうして二人が此処で会った事は、きっと間違いではなかったと、俺は……、何となく寂しい想いも感じながらも、これで良かったんだと、安堵していた。 「……どうぞこちらに」  二人にダイニングの椅子を勧めた俺を、鈴宮の父親が振り返る。 「ご迷惑をお掛けしてばかりで申し訳ないのですが、少し伊織と二人だけで話がしたいのです」 「……え」  父親の言葉に、俺は僅かに迷って、鈴宮へ視線を移した。  ――俺が傍にいるから。 と、さっき鈴宮に言ったばかりだったから。 「……僕は……、大丈夫だよ、先生」  まだ、僅かに不安を残しながらも、それでも言葉通りに、鈴宮の瞳はもう大丈夫と言っているように思えた。 「……分かりました。では向こうの部屋で待っていますので、何かあれば声を掛けてください」  部屋を出る前に、鈴宮の方へ視線を戻せば、心を決めたと俺に伝えるように、頷いてみせてくれていた。

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