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 ―― ESCAPE(40)

 それ以上に、君との出会いを大切に思ってるから。 「教師としての義務なんかじゃないよ」  勉強を教えるだけが教師ではない。問題から目を背けて、ただ安穏に日々が過ぎれば良いというものでもない。  広い世界で、人と人の出会いは、それ自体が奇跡。  こうして、鈴宮が俺の部屋にいて、心が壊れそうなほど苦しんでいる。それは、ほんの偶然が重なって、今があるのかもしれないけれど。  生徒一人一人の全てを背負うことなんて出来る訳もないけれど、それでも……。もしも、少しでも鈴宮が、一人で立って歩いていけるように、ほんの少しでもその未来を守ってやる事が出来るなら。 「…… 君の力になりたくて、俺がそうしたくて、此処に連れてきたのだから。負担になんて思わないよ」  それが今の俺の、偽りのない本心だと思っている。  だけど鈴宮は、ゆっくりと上体をベッドの上で起こして、無表情に言葉を紡ぐ。 「…… 先生も、僕を愛してくれてる訳じゃないんだよね」 (…… え?) 「皆、愛してるとか好きだとか囁くくせに、僕を本気で愛してくれる人なんて、誰もいなかった」  そう言って、鈴宮は両手で顔を覆う。 「…… ふっ……っ……」  最初泣いているのかと思ったけれど、違っていた。鈴宮は声を押し殺すようにして笑っていたのだ。 「…… 鈴宮?」 「…… ふ、ふっ、ねえ先生、知ってる?」  そう言いながら、滑らかに指を動かして、ひとつずつシャツのボタンを外していく。 「ここに来てからも、僕は毎晩夢の中で、父さんに抱かれているんだ」  肌蹴たシャツの前立てから、手を滑り込ませていく。俺に見せ付けるように。  ――俺は目を逸らせなかった。 「――やめなさい」 「どうして? 見てよ先生。ほら、父さんはいつもこうして、此処を触ってくれるんだ」  胸のふたつの小さな粒を、細い指先で摘み上げると、鈴宮の唇から「……っ」と、痛みを堪える微かな声が漏れる。 「父さんは、いつも痛いほどの愛撫をくれる。でも、それが段々快感に変わっていくんだ」  鈴宮は目を閉じて、頬を淡く上気させ恍惚とした表情をみせる。 「こんな風にされている間は、愛されているかもしれないと、期待してた……」  甘い吐息と、辛そうな声音が混じり始めていた。  鈴宮は膝立ちになり、左手で胸の粒を弄りながら、右手は汗の滲んだ肌を艶めかしく撫で下ろしていく。 「最初から最後まで、愛されてなんかいなかったのに」  バックルを外し、ファスナーをゆっくりと下げて、その手を下着の中へ潜り込ませようとしていた。 「他の女を愛した手で、僕を抱いていたんだ」 「――っ、やめなさい!」  俺はその手を掴んで止めた。もうそれ以上言わせないように、身体を抱き寄せて。 「ずっと、ずっと、そうして、僕を騙していたんだ」  なのに、止めることが出来なくて、鈴宮に辛い言葉を最後まで言わせてしまった。 「父さんは、母さんへ復讐する為に、僕を抱いていたんだ」

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