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 ―― ESCAPE(42)

――多田と脇坂が……。  こんなに近くにいるのに、それは見過ごしてしまうほどの、小さなサインだったかもしれない。  だけど……、あの時憂鬱そうに見えた鈴宮の横顔も、ふと胸を掠めた嫌な予感も、気の所為なんかじゃなかったのだ。 「先生……」  不意に、俺の後頭部に回された鈴宮の手に引き寄せられて、言葉と共に、唇にかかる熱い吐息がキスを誘う。 「……鈴宮……駄目だ。大谷とも約束したって言ってたじゃないか」  ――好きじゃない人とはもう身体を繋げたりしないって……約束。  力を入れれば、壊してしまいそうな華奢な肩を掴み、かろうじて誘いを躱し、そう言い聞かせてみても、 「だって、どうせ皆一緒じゃない。好きじゃなくても欲情するし、セックスなんて誰とでもできる」  今の鈴宮の心には、響かない。 「気持ち良ければ、それでいいんじゃない。僕はもう、誰も好きになんてならないからっ、だからっ」  だからお願い――寂しくて、寂しくて埋めることの出来ない心の隙間も、肌と肌の触れ合うあの瞬間だけは、何もかも忘れて満たされるから。  細い腕が首に絡みつき、汗で湿った髪が頬を擽る。そして鈴宮は耳元で「抱いて」と囁いた。  仄かに漂う、油絵具の匂い。  キャンバスに向き合っている時の真剣な眼差しや、時折見せてくれるようになった光が溢れるような微笑みが胸を過っていく。  情欲に流されて抱いてしまっては、もうあの笑顔は戻ってこないかもしれない。  愛の無いセックスは、お互いの心を傷付ける。  空っぽの心を抱いても、後には何も残らないから。 「――だ……、駄目だ!」  首に絡まった腕を解き、その両手を強く握って、鈴宮と目線を合わせる。 「こんなことをしても、何も変わらないよ。」  目を合わせても合ってない、視点の定まらない瞳は、何処を見ているのか。  そんな君を抱いても……お互いに虚しいだけじゃないか。 「それに……俺は、君の担任なんだよ」  一瞬見開かれた瞳に、涙が滲み出して……鈴宮は微かに微笑んだように見えた。 「じゃあ……いいよ」  そう言って、俺から身体を離して、ベッドを下りた。 「鈴宮? ……どこへ行くんだ?」  ふらふらとした足取りで、寝室のドアへ向かう後ろ姿に声をかけると、鈴宮は一旦立ち止まり、  「……凌のところ」  と言って、ゆっくりと肩越しに俺を振り返った。

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