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 ―― ESCAPE(44)

 閉じ込めた腕の中で、鈴宮は必死にもがき、握り締めた拳で俺の肩を何度も叩く。 「放せっ、放せってば!」  放したりなんかしない、絶対に。君が正気を取り戻すまで。君の心が癒えるまで。 「君はまたそうやって、速水くんを利用するつもりなのか?」  自分で気付いていたじゃないか。ちゃんと分かっていたじゃないか。  ――『どうしようもなく寂しくて、それを埋めて欲しくて、先生を利用しようとしたんだ』  そう言っていたじゃないか。  それは彼が、快楽を求める一番の理由だった。  ただ一人の人に愛されたくて、叶わない想いを持て余していたんだ。  俺の身体の下でもがいていた動きか、少しずつ諦めたように弛んでいく。  目尻に溜まった涙が伝い落ち、こめかみを濡らしても、鈴宮は声を上げて泣こうとはしない。  いつもそうだ。いつも声を上げずに堪えるように泣く。  何もかも吐き出してしまえば、もっと楽になれるかもしれないのに。 「……じゃあ僕は、どうすればいいの……。父さんに愛されない僕は、どうすれば……」 「こうやって抱き締めているだけじゃ駄目か? こうしているだけで安心できると言ったじゃないか」  押さえ付けていた力を少し弛め、細い身体を包み込むように抱き締めて、柔らかい髪に鼻を埋めると、絵具と汗の匂いが鼻腔を擽る。 「……お父さん以外の人を、好きになっても良いんだよ」  そう言った瞬間に、腕の中で鈴宮の身体がピクリと震えた。  そうだ……。捨てられたくないという気持ちが、いつの間にか愛されたいという想いとすり替わっていたのかもしれない。 「君はまだ17歳なんだ。これからもっと沢山のことを学んで、もっと沢山の人と出会う。そしていつかきっと……」  ――君と本当に赤い糸で繋がっている人は、きっと他にいる。 「運命の糸は、無理やり手繰り寄せなくても、きっと繋がってると俺は思うよ」  そう言って、背中をポンポンと柔らかく叩いてやれば、鈴宮は、腕の中で堪えていた嗚咽を漏らし始めた。 「泣くのを我慢する理由なんてどこにもないんだよ。男だからって泣いちゃ駄目な理由はないんだ」 「先生なんか……僕のこと好きじゃないくせに。僕がいなくても寂しくないくせに……僕の気持ちなんて分からないくせに……」  堰を切ったように、涙が想いと共に溢れ出す。 「誰も僕のことを必要じゃないくせに……僕は父さんに、だけで、いいのにっ」  言葉を詰まらせながら、そこまで言うと、鈴宮は俺のシャツの肩口をぎゅっと握りしめて、声をあげて泣きじゃくった。  今まで我慢していた悲しみや、自分ではどうしようも出来なかった切ない想いを吐き出すように。  ひとしきり泣いて、最後は俺の胸に顔を埋めたまま鼻を啜っていた。  涙が枯れ果てるんじゃないかと思うくらいに、声をあげてこんなに泣くことなんて、今までの人生の中であったんだろうか。  泣き疲れて眠ってしまった鈴宮の髪を、そっと撫でながら静かに呟く。  眠っている君の耳には、届かないだろうけど。 「君は、お父さんの傍にいられるなら、閉じ込められたままでも良いって言っていたけど……」  ……それは駄目だ。  君はあの家から、あの部屋から、束縛から逃れて――自由になれるんだから。  もう君は、どこへでも飛んでいけるんだよ。  俺は、出来るなら、ずっと傍で見守っていたいと願う。 「君は、俺を嫌いだと言ったけど、俺は君が好きだよ」  ――それはもしかしたら愛かもしれないと思う気持ちは、胸の中にしまっておこう。

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